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2018.10.08
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カテゴリ:徒然草を読もう
第二百三十五段
 主(ぬし)ある家には、すずろなる人、心のままに入(い)り来る事なし。主なき所には、道行き人(びと)みだりに立ち入り、狐・梟(ふくろう)やうの物も、人気(ひとけ)にせかれねば、所得顔(ところえがお)に入り棲(す)み、木霊(こたま)などいふけしからぬかたちも、あらはるるものなり。
 又、鏡には色・かたちなき故に、万(よろづ)の影来(きた)りてうつる。鏡に色・かたちあらましかば、うつらざらまし。
 虚空(こくう)よく物をいる。我等(われら)が心に念々(ねんねん)のほしきままに来(きた)り浮ぶも、心といふもののなきにやあらん。心に主あらましかば、胸のうちに、若干(そこばく)のことは入り来(きた)らざらまし。

現代風訳
 主人のある家には、用の無い人は、勝手に入って来ることは無い。主人のいない所には、通りすがりの人が無闇に立ち入り、狐・梟のような獣も、人の気配がないので、わがもの顔で入って棲みつく。こだま(木霊…木の精霊)などという「もののけ」も、あらわれるものである。
 また、鏡には色も形も無いからこそ、あらゆる物の姿が映るのである。鏡に色や形があったら、映らないはずだ。
 空間は十分に物を容れる。われらの心にざまざまな雑念がほしいままに来て浮かぶのも、心というものの中が空っぽだからではなかろうか。心に主があれば、胸のうちに、多くのことは入り込まないに違いない。

四つ葉葉四つ葉
「心に主あらましかば」、雑念に流され、妄想に翻弄されることもない。
全くもって「心に主あらましかば」、方向性を持って軸がブレることなく進んでいけるのでしょう。

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最終更新日  2018.10.08 07:00:13
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