「現在は過去の歴史をベースに存在する」、ロシアのウクライナ侵略に痛感
ウクライナを侵略するロシア軍は、各地でウクライナ軍の抵抗に遭い、当初は48時間以内にも陥落とアメリカ筋から見られていたキエフを死守している(写真=キエフの高層アパートを直撃したロシア軍のロケット)。◎1914年のクリミアとウクライナ東部の領土奪取を見逃した過ち 今日のウクライナの受難を見ると、あらためて「現在は過去の歴史をベースに存在する」ということを痛感させられる。 どういうことか――。 2014年3月のロシアのクリミア併合。この時、明白なウクライナ領であるクリミア半島をロシアは奪った。しかし欧米諸国は、ソ連時代に当時の独裁者フルシチョフが、ロシア共和国の一部だったクリミアをウクライナ共和国に配置換えしたこと(当時はソ連国内の内政だった)を考慮したのか、ロシアへの制裁は微温的なものに留まった。 その直後に、ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州のそれぞれ東部に、ロシア系国民がロシア軍の支援を受け、ウクライナ政府に対して反乱を起こし(写真=14年4月に蜂起したドネツク州スラビャンスクの親ロ派武装組織。スラビャンスクは、同7月にウクライナ軍により同州東部に追い払われた)、2州はロシアの勢力圏に納められた。◎「ミンスク合意」の融和策 これに対しても国際社会は、裏で糸を引き、ロシア軍を武力関与させたにもかかわらず、ロシアに制裁を科さなかった。 それどころか翌年、ウクライナを宥めて、ロシア、ドネツク・ルガンスク反乱派と「ミンスク合意」を結ばせた。ミンスク合意は、欧米民主主義諸国で構成される欧州安全保障協力機構(OSCE)がバックアップしたのだ。この「ミンスク合意」こそ、後述する1938年のナチ・ドイツと英仏との間の「ミュンヘン会談」とそっくりだった。 ロシアへのこの融和策が、今日のようにロシアを増長させ、第3次ウクライナ侵略を引き起こしたと言える。◎ルカシェンコの不正選挙と居座りを見逃した過ち さらに欧米諸国は、2020年8月のベラルーシ大統領選で、現職の「欧州最後の独裁者」ルカシェンコの不正選挙を許し、ルカシェンコの居座りを事実上、容認した。 ルカシェンコは、国内の反対派のデモを暴力的に弾圧し(写真=不正選挙の後、10万人規模のデモが相次いだが、鎮圧された)、欧米諸国と敵対、ロシアのプーチンに庇護を求めた。それが、ウクライナ侵略の基地と入り口を、ルカシェンコのベラルーシに許すことになった。 民主政権が出来ていたら、民主ベラルーシは、決してプーチンのロシアに自国をウクライナ侵略の基地とさせなかっただろう。 つまりウクライナへのロシアの暴力は、欧米諸国の「ゆるい」対応が遠因となっているのだ。◎ミュンヘン会談の歴史的過ちを教訓としていない誤りの累乗 まるで、チェコスロバキア領であったズデーテン地方をナチ・ドイツに割譲させた1938年のミュンヘン会談の再来である(写真=左から左からイギリス首相チェンバレン、 フランス首相ダラディエ、ヒトラー、イタリアのムソリーニ、チャーノ外相)。ナチ・ドイツは、イギリス、フランスの甘い融和策に味をしめ、やがてポーランド侵略などのヨーロッパ大戦を引き起こす。 ならず者への譲歩は、決して平和という問題解決とはならず、次の戦争を引き起こすという歴史の教訓である。 まさに「現在は過去の歴史をベースに存在する」のだ。追記 アメリカとEUがロシア銀行大手のSWIFT排除を決める アメリカとEUは、ロシアの銀行大手を、国際銀行間決済を行うSWIFT(国際銀行間通信協会)から締め出すことを決めた。SWIFTから締め出されれば、ロシアは原油や天然ガス、コムギなどの輸出代金の決済ができず、交易から締め出される。昨年の今日の日記:「イギリスのブレグジット=EU離脱は、3度目のヨーロッパ大陸からの決別」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202102280000/