昨日、稚内や旭川など北海道北部で初雪の便りがあった。いずれも例年よりも大幅に遅く、今年の冬の訪れのゆっくりさが分かる。僕が7月に行った南樺太、ユジノサハリンスク(豊原)なら、もう積雪しているだろうか。
様々なワイルドフラワーが咲き誇っていたチェーホフ山(鈴谷岳)は、冠雪しているだろう。
ユジノサハリンスクは、周囲を山に囲まれた盆地だが、すぐ東方には旧名・旭が丘と呼ばれた500~600メートルの「山の空気展望台」を控える。晴れた夕方には、冠雪した丘は西日をきっと浴びて美しいに違いない。
◎安曇野で青空に浮かぶ白い雪山を観望し
僕は、山無し県の千葉のそのまた海岸部で育ったため、周囲の景観に山が見られないことをある時期まで特に不思議に思うことはなかった。
その後の一時期、北海道の札幌市に住んだことがあるが、ここにはすぐ西郊に藻岩山、円山があり、さらに遠くに手稲山が聳える。
山のある風景が身近になったが、それでも特にどうとも思わなかった。
それがある時、とんでもない損失であったことに気がついた。
ゴールデンウィーク頃だったろうか、信州・安曇野を訪れた時である。
晴れた青い空に山体上部を輝くばかりの真っ白な雪をまとった山並みを見て感動し、ああ信州の人たちは、毎日、山を見て過ごしているんだ、と羨ましくなった。
むろんいつも目にしている地元の人は、あまり頓着しないかもしれない。しかし山体の雪が一部溶けて出来る雪形を見て、麓の農家に田植えの時期を教えてくれた。北アルプスの常念岳に出来る雪形「常念坊」は特に有名だ(写真)。
◎雪に閉ざされた4カ月は辛い
雪形ではないが、札幌市民は10月中頃に手稲山山頂に雪が降ったとテレビなどで伝えられると、街中にも雪の訪れの近いことを実感させられるのだ(昨日はまだ雪は降らなかったようだ)。
近くの藻岩山(写真=画面右奥の山)の冠雪も、間もなくのことだろう。
ちなみに北海道はどこでもそうだと思うが、札幌市民のほとんどは実は雪を迷惑に思っている(僕は、前に初冬に札幌に出かけ、大雪に遭って帰りの飛行機便が欠航し、もう1晩、札幌泊を強いられたことがある)。
何しろ最低4カ月は雪に閉じ込められて過ごすのだ。大雪になれば鉄道、バス、飛行機の交通機関は途絶し、外出すればつるつるの歩道など、危険そのものだ。
札幌の駅前から薄野までの南北を走るメインストリートと中央部を東西に走る大通りには、地下街が発達しているが、冬季はみんな地下を歩き、地上の歩道を歩く人は稀になる。高齢者の中には、市内中心部に地下街があるから、と郊外の家を処分し、市街地に新築されたマンションに移ってくる人もいるのだ。
◎雪の訪れを告げる雪虫も
北国では、他に「雪虫」の到来が雪の訪れを告げる(15年11月2日付日記:「北海道の雪の先触れ『雪虫』;妖精のように舞うのは死を前にしたパートナー探しと個体最後の有性生殖の場面」を参照)。北海道は、ほとんどでもう雪虫が舞ったであろう(写真)。
四季それぞれの季節感のある日本が美しいのは、それによって景観が千変万化に移り変わるからだ。それにより美の意識が醸成され、研ぎ澄まされる。
僕の生まれ育った千葉の田舎には、何も無かった。変哲もない水田と杉の植えられた丘、小さな河川、それだけだ。
信州の、例えば安曇野にでも育ったらもっと別の感性の僕が生まれたかもしれない。
昨年の今日の日記:「世界覇権の謀略、スターリニスト中国の環境車=EVの力尽く普及という強制」