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2018.12.11
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カテゴリ:旅行紀行

 空は、晴れてきた。
 僕たちは、オホーツクコエの浜辺のハマナスの群生地でひとしきりワイルドフラワーを探した(下の写真の上)。そばに咲く薄紫の花は、ハマエンドウか(下の写真の下)。ハマナスの群落は、北海道でもしばしば見たことはあるが、これは、出色。さすが樺太、である。






◎ハマナスの間に他のワイルドフラワー
 さらにハマナスの群落の間に、ひっそりとコウリンタンポポ、チシマフウロ、ゴゼンタチバナが咲く(写真=上からこの順)。これらのワイルドフラワーは、ハマナスの勢いが強すぎて、やっと一角に座を探したかのようである。







 だがこのようなワイルドフラワーの群舞は、ほんのスタートラインであったことは午後のブッセ湖散策で知る。さらに後に登るチェーホフ山(鈴谷岳)は見事であった。

◎昔、大泊は北海道への玄関だった
 オホーツコエに30分ほど滞在すると、僕たちを乗せたバスは、途中、通過してきたコルサコフに戻った。オホーツコエも含め、コルサコフ以外の村には、外国人観光客が入れるようなめぼしいレストランがないようであった。
 オホーツクコエの村を通過する際、村の大半を占める古い木造家屋を観た(写真)。今も人が住んでいるようだが、板張りの壁から日本統治時代のものではないか、と思った。これでは冬の寒さをしのぐのは大変だ。



 僕らの向かうコルサコフは、日本統治時代、大泊として知られ、ここは北海道・稚内と稚泊(ちはく)連絡船で結ばれる樺太の玄関口であった。

◎坂の街の大泊=コルサコフ
 コルサコフは、坂の街であり、ゆるやかな坂の途中にレストランがあった(写真)。



 レストランの前には、汚れた日本製レクサスが停まっていた(下の写真の上)。前にも述べたが、サハリンは圧倒的に日本の中古車が多い。厳しい冬にもすぐに動く日本車が愛好されているのだ。中には、日本の店名などがそのまま入った中古トラックも見られる(下の写真の下)。





 北海道開拓の始まりもそうだったが、明治新政府は古くから拓かれていた坂の多い小樽を「首都」に選ばず、新たに「サルポロ」と呼ばれていた豊平川河畔の広い原野に札幌を建設し、そこを北海道開拓使の拠点とした。樺太も、古くから拓かれていた大泊を選ばず、やや内陸に入った豊原を樺太庁の「首都」に選んだのは、将来の街の発展が坂の多い土地では阻害されると判断されたのだろう。

昨年の今日の日記:「ユニクロのファーストリテイリング、ネット時代にどうする? 好調の株式市場の中で株価が低迷」






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Last updated  2018.12.11 05:59:47



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