今、パナマ地峡で連結されている北米と南米は、350万年前頃までは海で隔てられる別々の大陸だった。そのせいか、メソアメリカ(中米)以北の北アメリカ大陸にはサル類はいない。中米に生息するタマリンなどの新世界ザルは、350万年前頃の南北アメリカ大陸の連結後に、南米から移住したと見られている。
◎メソアメリカに南北アメリカ大陸の連結前にサルがいた
ところが2016年にイギリスの科学週刊誌『ネイチャー』で2100万年前のサルの歯の化石7点がパナマで見つかり、南北アメリカ大陸の連結前にサルがメソアメリカに渡っていたことが明らかになった。ただしメキシコ以北の北米には、サルは行けなかったらしい。
さてそこで、改めてサルはどうやって旧大陸アフリカから南米に、そして南米からメソアメリカに行ったのか、問題になる。
◎旧世界ザルと新世界ザルとの分岐前に2大陸は分裂
ちなみにアフリカと南米大陸は、かつてゴンドワナ超大陸として一体だった(他にオーストラリア、南極大陸、ジーランディアも)。1億年前以降、マントル対流のよる大陸移動でアフリカと南米の間に大西洋が出来、両大陸は隔てられた。
それによってゴンドワナにいたサルが隔離され、南アメリカ大陸で新世界ザルが進化した――という考えは、最も分かりやすいが、残念ながら前回述べたように、遺伝子の証拠や化石から、新世界ザルが旧世界ザルから分岐したのは、5000万~3000万年前頃だったと考えられている。つまり大西洋によって隔てられてから、旧世界ザルの一派が南アメリカ大陸に渡ってきたことになるのだ。
1つのヒントは、大西洋は真ん中で南北に走る中央海嶺からのマグマの湧き出しにより、ここを境に年々10センチ弱も東西に拡大している事実だ(写真=中央に走る細くて白い部分は大西洋中央海嶺。ここだけ水深が浅く、大西洋に聳える海嶺であることが分かる)。
◎分岐頃の大西洋は今よりはるかに狭かった
そこから、新世界ザルがアフリカの旧世界ザルから分岐する前には、また大西洋は今よりもはるかに狭く、せいぜい500キロくらいの細い海峡に過ぎなかったと想定されている(現在の大西洋で、幅が最も狭いのは、アフリカ大陸西端と南米大陸北東端の間の約2870キロ)。
しかもこの古大西洋の中間には、飛び石のようにいくつもの島があったらしい。
おそらくアフリカ大陸からキツネザルの祖先が流木などに乗ってマダガスカル島にたどり着いたように、アフリカから新世界ザルの祖先(すなわち旧世界ザルの片割れ)がまだ狭かった大西洋を飛び石伝いに南米大陸に漂着し、ここの原生林に居を構えたのに違いない。むろんその偶然の試みは、何千、何万回となされ、多くは大洋に飲み込まれた膨大な失敗=死を伴ったであろう。
◎たった一つがいか二つがいが創始者
それでも万に1つの幸運を掴んだ個体がいたのだ。
むろんそれは、雌雄のペアが1対か2対程度だったに違いない。
それが今や新大陸全体で、新世界ザル(広鼻猿類)は、オマキザル科、クモザル科、ヨザル科、サキ科の4科、約50種にも分化した。現アマゾン一帯の熱帯雨林という新しいニッチが、このような大繁栄をもたらしたのだ(写真=オマキザル科のコモンリスザル=上=とゴールデンライオンタマリン)。
このようにサルでも大西洋を渡ったのだ。それならば、彼らよりずっと知恵のあるホモ・エレクトスがわずか数十キロの海峡を渡れなかったはずはない。
◎屋久島のサルは氷河期の陸続き時に
手段は不明だが、生物の飽くなき生息域拡大を思い知らされる話である。
サルが大西洋を渡れたのなら、南米で適応放散した新世界ザルが、冒頭で紹介した、もっと距離の短いメソアメリカまで海を越えて渡っていったとしても、不思議ではないだろう。
ちなみに九州南方沖の屋久島に、ニホンザルの亜種であるヤクシマザルとニホンジカの亜種であるヤクシカがいるが、屋久島は氷河期には九州と陸続きになったと見られているので、彼らの屋久島への分布は特段の不思議はない。
昨年の今日の日記:「アフリカのサバンナをスポット状に肥沃化させた新石器時代牧畜民」