国民民主党は去る3月24日午後、両院議員総会を国会内で開き、連合傘下の民間産業別労働組合(産別)が支援する無所属の浜口誠、礒崎哲史、田村麻美各参院議員(いずれも比例)の入党を承認した(写真=新入党の3氏。左が玉木代表)。
昨年9月の結党大会時にはわずか15人(衆院7、参院8)だったのに、着実に議員数を増やしている(写真=昨年の結党大会のメンバー)。
◎総議席数が衆院の半分の参院の方が議員数の多い珍事
国民民主党の議席数は衆院7、参院12の計19議席となった。なお参院で12人となったので、国民民主は参院で法案を単独提出できる要件を整えた。
総議席数が衆院の約半分の参院の方が議員数が多いのは、比例選出議員が8人もいるからだ。これは、すべて民間産別の「代表」である。
で、その8人の出身産別を見てみると――。
新入党の浜口、礒崎両氏は自動車総連、田村氏はUAゼンセン。
従来からの国民民主党の議員だった5人で、小林正夫氏と浜野喜史氏は電力労連、川合孝典氏はUAゼンセン、矢田稚子氏は電機連合だ。
◎立民の産別出身議員と対照的
立憲民主党の労組出身議員が官公労や元官公労出身がほとんどなので、対照的である。
しかしこの勢力比には既視感がある。つまり1960年代の社会党=総評、民社党=同盟の構図である。
今は連合の主力となっているが、総評は国鉄労働組合や全逓、全電通などの官公労中心だった。民間労組は、取るに足らない勢力しかなかった。マルクス主義の影響が強い総評が「階級闘争」労働運動を展開し、そんなことを民間の会社の労組がやっていたのでは、会社が潰れて自らも「おまんまの食い上げ」になるからだ。
これら官公労が違法ストを繰り返し、選挙の時にはひ弱な社会党の手足となって集票にフル回転した。
◎かつての同盟系産別が国民民主党に集結、民社党化の完成
対して同盟は、民間の大単産の産別だった。官公労は、第2組合しかいなかった。こちらは、労使協調路線で、共産党を毛嫌いしていた。選挙の時は、民社党の手足として働いた。
かくして民間産別代表の参院議員が国民民主党に結集し、旧官公労代表が立憲民主党に集中するとなると、かつての総評対同盟の国会版が明白になった。
総評は、社会党支持だった。それがかつての社会党の現代版である立憲民主党に納まり、民社党支持だった同盟の流れを汲む産別出身議員が国民民主党に集まった。
いわば一足先に社会党化を成し遂げた立憲民主党より一呼吸遅れ、国民民主党も民社党化を完成させたというわけだ。
この矛盾は、今は1つに納まっている連合の不協和につながるだろう。
昨年の今日の日記:休載