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2022.09.16
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カテゴリ:現代史
 習近平とプーチンが15日、中央アジア、ウズベキスタンのサマルカンドで会談した。
 プーチンは、武漢肺炎発生後に初めて外国訪問するスターリニスト中国の習近平にロシアへの支援を要請した模様だ。ただ習近平が、これに色よい返事をしたかは、現時点では分からない。ただウクライナ侵略戦争がウクライナ側の反撃で破綻しつつあり、西側から経済断絶されているロシアが、スターリニスト中国に一層の傾斜を強めるのは確実だ。
 ロシアのスターリニスト中国への経済的依存という形の同盟は、ますます固くなる気配だ。

​◎同盟関係に亀裂を入れたスターリン批判​
​ 独裁国同士、それも極めつけの独裁国=共産党一党支配のスターリニスト中国と旧ソ連は、かつて中ソ友好同盟相互援助条約を結んだ同盟国だった(写真:1950年=中ソ同盟のスターリニスト中国の記念切手)。



 今のスターリニスト中国は、その前年に「建国」したが、日中戦争で疲弊した、何一つ産業も無い貧しい農業国だった。しかも「建国」早々、スターリニスト中国は北朝鮮の金日成が仕掛けた朝鮮戦争に参戦し、多大の死傷者を出した。だから前記条約は、「相互援助」となっているが、実態はスターリニスト中国は、アメリカと並ぶ超大国のソ連から、工業化のための一方的な援助を受ける従属的な関係だった。だからスターリニスト中国は、ソ連を「兄貴」と慕った。
 その蜜月関係は、10年も続かなかった。
​ 最初のきっかけは1956年、ソ連の当時の独裁者、ソ連共産党第一書記フルシチョフが、ソ連共産党第20回党大会で歴史的なスターリン批判であった(写真=レーニン像を背景にスターリン批判を行う20回党大会のフルシチョフ)。世界の共産党のほぼすべては「右にならえ」したが、中国共産党はこれに同調しなかった。日中戦争でスターリンから受けた恩義があったからだろう。



​◎10年も続かなかった中ソ蜜月​
 その約2年後の1958年頃にはあからさまな中ソ共産党同士の中ソ論争が始まり、党機関紙を通じたその批判合戦は、共産党一党独裁国家だけにじきに両国の国家関係の悪化に波及し、1960年に両国は断絶状態になる。この断絶に当たって、ソ連は、スターリニスト中国に派遣していた技術者と機械・設備を総引き揚げした。後には何も残らなかったという。
 つまり蜜月関係は、10年も続かなかったのだ。
​ この冷たい関係は、1969年には流血の武力衝突にまで発展する。3月にウスリー川の中州の島を巡って戦い(「珍宝島事件」または「ダマンスキー島事件」=写真)、さらに8月には新疆ウイグル自治区国境線近くで流血の戦闘になった。





​◎中ソ国境戦争で完敗したスターリニスト中国は対米融和へ​
 いずれの衝突でも、近代兵器に勝るソ連の圧勝に終わった。ソ連がこの時、スターリニスト中国を徹底的にたたくつもりだったら、中ソ戦争はソ連の勝利に終わっただろう。ただ、ソ連はアメリカの介入を心配したほか、64年にスターリニスト中国が核実験を行い、幼稚とはいえ核武装国家になっていて、ソ連側にも大きな損害が出る懸念が強く、以後、睨み合いに転じた。
 この中ソ国境戦争は、スターリニスト中国にとって死活的な問題となった。ソ連に対抗するため、それまで宿敵だったアメリカにすがるようになり(何しろ両国は、朝鮮戦争で流血の戦闘を行っていたのだ)、1972年のニクソン大統領訪中、翌年の国交樹立に至る。以後、アメリカと中国は、準同盟関係を結び、やがてスターリニスト中国の経済発展に至る。1989年6月の6.4市民革命(「天安門事件」)までは。

​◎二転、三転して今は再び「中ロ同盟」​
 この間のスターリニスト中国の一連の対応は、極めて狡猾だった。当初は、大先輩のソ連と同盟を結んだのに、一転、不仲になると、それまでの仇敵視していたアメリカと結び、プーチン登場以後は、ロシアとよりを戻していく。
 そして今は、前回ブログにも記したように、かつてと180度立場が変わって、孤立するロシアを支援する。今やロシアは、原油や天然ガス、穀物を差し出して、スターリニスト中国から先端工業製品と民生品を買っている。そして国連安保理事会の場では、ロシア非難の決議を拒否権で葬り去る。
 ロシアのスターリニスト中国への依存関係は、しかしいつまでも続くとは思えない。独裁国同士の蜜月関係は、ただの国際関係によって結ばれたものだからだ。

​◎清朝の失地を忘れない習近平​
 それに10月の党大会で3選を果たす習近平は、その昔、清朝時代に帝政ロシアからなされた蹂躙を忘れないだろう。清朝は、帝政ロシアの武力を笠に着た威圧のもと、沿海州など多くの領土をロシアに割譲した。
 自らに依存し、経済規模は10分の1しかないロシアは、今やスターリニスト中国にとって属国に近い。お得意の「債務の罠」と武力的威圧で、清朝時代に奪われた北の領土を奪い返そうと考えても不思議ではない。

昨年の今日の日記:「『三菱の至宝展』、岩崎家4代の集めた至宝の数々に驚嘆、経済的余裕の大切さ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202109160000/​





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Last updated  2022.09.16 05:19:15



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