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カテゴリ:旅行紀行
ハリストス正教会の隣は、また伝統的な2階建て洋館が建っている。中には入れないが、鉄門に、「遺愛幼稚園」とあった(写真)。「遺愛(いあい)」とは、なんとゆかしい名称だろうか。 ◎1世紀以上の歴史を持つ遺愛幼稚園園舎 「遺愛」の名は、知っていた。知人の女性の友人が、函館の遺愛女子高の出身だったからだ。ただし、現在、遺愛女子高はここからは離れた所に別にある。 遺愛幼稚園の歴史も、古い。アメリカから派遣されてきた宣教師M・C・ハリスが、1874年(明治7年)に遺愛女学校を創立し、その21年後の1895年(明治28年)に、遺愛女学校併置の附属幼稚園として開園している。ただ園舎は、ハリストス正教会聖堂と同様に、1907年(明治40年)8月の函館大火で焼失している。 アメリカの篤志家たちの寄付で、1913年(大正2年)、現園舎が再建された。したがって、この幼稚園園舎も、1世紀以上の歴史を有しているわけだ。 来日した宣教師のM・C・ハリスは、札幌農学校校長のクラーク博士の依頼で、生徒の新渡戸稲造や内村鑑三らに洗礼を授けている。 ◎きつい坂道 遺愛幼稚園からハリストス正教会聖堂前に戻って、大三坂を下っていくと、すぐ左手にカトリック元町教会となる。それにしても函館山の麓に開けた元町は、きつい坂道が連なる。大三坂の1本手前が二十間坂、1本先が八幡坂と名が付いている。 おまけに大三坂の南西先の狭い坂道は、「チャチャ登り」というきつい坂だ(写真=大三坂からチャチャ登りを望む。横の道の1本奥がチャチャ登りで、左に聖ヨハネ教会が見える)。「チャチャ」とは函館には珍しいアイヌ語地名で、アイヌ語で「おじいさん」という意味で、誰もが「おじいさんのように腰を曲げなければ登れないほど急な坂」ということだ。 閑話休題。 ◎カトリック元町教会も聖堂は1世紀 カトリック元町教会の中に入る(写真)。開放されていて、お御堂の中に誰もが入れる。 さすがにカトリック教会で、ハリストス正教会よりもずっと広い(写真)。安政6年(1859年)、フランス人宣教師メルメ・ド・カション神父による仮聖堂建設が起源という。さすが開港の街で、長崎の大浦天主堂、横浜の山手教会に並ぶ古い歴史を持つ。 その後、明治元年(1868年)に現在地に仮聖堂が建ち、さらに明治10年(1877年)にフランス人司祭マレン師により最初の聖堂が建設された。 以後、3回の大火によって類焼した後、大正13年(1923年)に、今の目に見るゴシック様式の聖堂が完成した。 つまり今年で満1世紀になる。 (この項、続く)
昨年の今日の日記:「スターリニスト中国の3社製の武漢肺炎ワクチンが「効かない」からと海外に全く売れなくなった、ワクチン外交の終焉」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202205170000/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.05.17 03:55:13
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