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カテゴリ:今日の名言
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♪メルマガ登録はこちらから 配信スタンド「まぐまぐ」♪ ⇒ 「まぐまぐ」登録 ================================= 2022.03.04-Vol.1021 --------------------------------------------------------------------------- ■先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」■ --------------------------------------------------------------------------- ★今日の名言★ ================================= 成功には嫉妬が伴い、 成功者の多くは老獪と目されやすい。 地位と名誉には、 それぞれ付随する慎みがあることを忘れてはならぬ。 <渋沢栄一> ================================= ◆一口豆知識◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇広辞苑より◇◇◇◇ 老獪(ろうかい)・・・ 長い間世俗の経験を積んで狡猾なこと。世故にたけて悪賢いこと。 ================================= ※時事放談 <渋沢栄一>名言集抜粋 ★世の中の事はすべて心の持ちよう一つでどうにでもなる 『渋沢栄一訓言集』一言集 ★口舌は実に禍いの起る門でもあるが、 また福祉の生ずる門でもある 『論語と算盤』常識と習慣 ★すべて世の中の事は、 もうこれで満足だという時は、 すなわち衰える時である」 『渋沢栄一訓言集』処事と接物 ★人間にはいかに円くとも、 どこかに角がなければならぬもので、 古歌にもあるごとく、 余り円いとかえって転びやすいことになる 『論語と算盤』立志と学問 ★孝行は親がさしてくれて初めて子が出来るもので 子が孝するのでは無く、 親が子に孝をさせるのである」 『論語と算盤』教育と情誼 ★いかに忙しき時とても、仕事を考えながら人と談話し、 談話しながら事務上に心を配るなどは、 過誤を招く所以である」 『渋沢栄一訓言集』処事と接物† ★孔子の言わんと欲する所は、 道理をもった富貴でなければ、むしろ貧賤の方がよいが、 もし正しい道理を踏んで得たる富貴ならば あえて差支えないとの意である」 『論語と算盤』仁義と富貴 ★一時の成敗は 長い人生、価値の多い生涯に於ける 泡沫のごときものである」 『論語と算盤』・成敗と運命 ★不自由を世の常と思わば、 別に苦情も起らなければ、 下らぬ心配も起るはずがない。 かくてその志すところの事に従うがよい」 「渋沢栄一訓言集」・立志と修養 ★政府万能主義で、何事も政府に依頼せんと欲するは、 国民一般の元気なき表徴であって、 腑甲斐なき至りといわねばならない」 「渋沢栄一訓言集」・立志と修養 ☆----------------------------------------☆ 渋沢栄一 渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、旧字体:澁澤 榮一、天保11年2月13日 〈1840年3月16日〉 - 昭和6年〈1931年〉11月11日)は日本の武士、官僚 、実業家、慈善家。位階勲等爵位は正二位勲一等子爵。雅号は青淵(せ いえん)。 [概説] 江戸時代末期に農民(名主身分)から武士(幕臣)に取り立てられ、明 治政府では、民部省を経て直属の上司である大蔵大輔・井上馨の下で大 蔵少輔・吉田清成等と共に造幣・戸籍・出納等様々な政策立案を行い、 初代紙幣頭、次いで大蔵省三等官の大蔵少輔事務取扱となる。井上馨と 共に退官後は実業界に転じ、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京商 法会議所(現・東京商工会議所)、東京証券取引所といった多種多様な 会社、経済団体の設立・経営に関わり、同時に東京養育院等の福祉事業 、東京慈恵会等の医療事業、商法講習所(現・一橋大学)、大倉商業学 校(現・東京経済大学)等の実業教育、東京女学館等の女子教育、台湾協 会学校(現・拓殖大学)の設立、二松學舍(現・二松学舎大学)第3代 舎長就任等による私学教育支援や、理化学研究所設立等の研究事業支援 、民間外交の実践等にも尽力した。それらの功績を元に「日本資本主義 の父」と称される。また「論語と算盤」の言葉で代表される、道徳経済 合一の思想でも広く知られている。 花柳界でも知られ、妾との間に一説には50人とも云われる子供を作って いる。また、伊藤博文の幕末時の暗殺を暴露した人物でもある。 [経歴] <誕生、郷里にて 1840年~> 天保11年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血 洗島)に父・渋沢市郎右衛門元助(1810年 - 1871年)、母・ゑいの長男 として生まれた。幼名は栄二郎。のちに、栄一郎、篤太夫、篤太郎を名 乗る。 渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける 富農だった。原料の買い入れから製造、販売までを担うため、一般的な 農家と異なり、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められた。栄一も、 父と共に、信州や上州まで製品の藍玉を売り歩くほか、原料の藍葉の仕 入れ調達にも携わった。14歳の頃からは単身で藍葉の仕入れに出かける ようになり、こうした経験がヨーロッパ視察時に、近代的な経済システ ム、諸制度を理解吸収する素地となり、また後の現実的な合理主義思想 の形成にも繋がったともいわれる。 一方で5歳の頃より父から漢籍の手ほどきを受け、7歳の時には従兄の尾 高惇忠の許に通い、論語を始め四書五経や日本外史を学ぶ。剣術は元川 越藩剣術師範で近隣に在郷の大川平兵衛より神道無念流を学んだ。安政 3年(1856年)16歳の時、領主代官のいる岡部陣屋で御用金の上納を命じ られ大いに反発したと伝わる。安政5年(1858年)には惇忠の妹で従妹に あたる尾高千代と結婚。 <尊攘派志士から、一橋慶喜の家臣へ 1861年~> 文久元年(1861年)には江戸に出て海保漁村の門下生となる。また北辰 一刀流の千葉栄次郎の道場(お玉が池の千葉道場)に入門し、剣術修行 の傍ら勤皇志士と交友を結ぶ。その影響から尊皇攘夷の思想に目覚め、 文久3年(1863年)従兄で義兄の尾高惇忠、同じく従兄の渋沢喜作らと、 高崎城を乗っ取って武器を奪い、横浜外国人居留地を焼き討ちにしたの ち長州と連携して幕府を倒すという計画をたてる。しかし、惇忠の弟・ 尾高長七郎(従兄弟)の懸命な説得により中止する。 親族に累が及ばぬよう父より勘当を受けた体裁を取って、従兄の喜作と 連れ立って京都に出るが、八月十八日の政変直後であったため、勤皇派 が凋落した京都での志士活動に行き詰まり、江戸遊学の折より交際のあ った一橋家家臣・平岡円四郎の推挙により一橋慶喜に仕えることになる 。当時、慶喜は朝議参与として京都に常駐していた。仕官後、慶喜が朝 廷から禁裏守衛総督を拝命するが、御三卿は自前の兵力を持っていない 為、兵力調達が急務となり、栄一が一橋家領内を巡回し農兵の募集で手 腕を発揮した。 <幕臣となりヨーロッパへ 1867年~> 慶応2年(1866年)12月、主君の慶喜が将軍となったことに伴って幕臣と なる。パリで行われる万国博覧会(1867年)に将軍の名代として出席す る慶喜の異母弟・徳川昭武(後の水戸徳川家11代当主)の随員として御 勘定格陸軍付調役の肩書を得て、フランスへと渡航する。パリ万博を視 察したほか、ヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行する。各地で先進的 な産業・諸制度を見聞すると共に、近代社会の在り様に感銘を受ける。 フランス滞在中に、幕府における役職は御勘定格陸軍付調役から外国奉 行支配調役となり、その後開成所奉行支配調役に転じている。パリ万博 とヨーロッパ各国訪問を終えた後、昭武はパリに留学する予定であった が、大政奉還に伴い、慶応4年(1868年)5月には新政府から帰国を命じ られ、昭武と共に9月4日(1868年10月19日)にマルセイユから帰国の途 につき、同年11月3日(12月16日)に横浜港に帰国した。 <静岡藩、民部省・大蔵省時代 1869年~> 帰国後は静岡に謹慎していた慶喜と面会し「これからはお前の道を行き なさい」との言葉を拝受するも、旧恩に報いるため静岡にとどまり静岡 藩に出仕した。静岡ではフランスで学んだ株式会社制度を実践すること や、新政府からの借入金返済のために、勘定頭の平岡準蔵に相談し、明 治2年(1869年)1月には商法会所を設立した。この商法会議所では銀行 的業務と物産販売を兼ね、小野組糸店を担う古河市兵衛に取り扱いを依 頼することもあった。 1869年(明治2年)10月、明治新政府からの招状が静岡藩庁に届き、渋沢 は大久保一翁に相談し東京へ向かうと民部省租税正の辞令書を受ける。 一度は辞任を決意するも、大隈重信らの説得で11月に出仕。民部省内に 改正掛が置かれると掛長となり、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携 わった。明治4年(1871年)年7月27日に民部省が大蔵省に統合されるこ とに伴い、芳川顕正紙幣頭の下で大蔵権大丞となり、次いで大蔵大丞と なる。 1872年(明治5年)には大蔵省三等出仕となり、紙幣寮の頭に就任(同三 等出仕は上野景範)。大蔵大輔井上馨や大蔵少輔吉田清成と連携して造 幣寮の事務に勤しみ、また、ドイツで印刷された明治通宝(通称ゲルマ ン紙幣)を取り扱ったが贋札事件の発生も少なくなかった。しかし、予 算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立し、1873年5月7日、大蔵 大輔井上馨や大蔵少輔吉田清成と共同で財政改革意見を建議し、建議書 を『日新真事誌』などに掲載し論議を喚起した。明治6年(1873年)5月 14日に井上馨と共に退官した。 この間、旧幕府側で戦い投獄されていた、従兄の渋沢喜作の出獄を引受 、大蔵省への仕官を世話し、養蚕製糸事業調査の名目でヨーロッパ視察 に送り出している。同じく戊辰戦争を幕府側で戦った従兄の尾高惇忠に は富岡製糸場の初代場長として事業立ち上げを託している。 <実業家時代 1873年~><以下略> フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ◆渋沢栄一の本 ◆自己啓発書のベストセラー ◆筑紫哲也『NEWS23』とその時代 金平茂紀著 ☆----------------------------------------☆ ★☆「keiko通信 from NewYork」☆★ 「あなたならどうする?!」 ニューヨークのスーパーマーケットは朝7時の開店。 混雑を避ける為私は早朝行き、100ドル札を使って買い物、かざして偽札 かどうかを確認されます。 キャッシャーには現金がそれほどなく、マネージャーらしき人が、別の ところから10ドル札でお釣りを持ってきてくれました。 後ろに並んでいた男性が、 「全部10ドル札だけどいいですか?」 「僕50ドル札を持っているので交換してあげようか?」 「いえいえ結構です」 かつて私はお釣りの5ドル札を偽札で受け取り、慌てて1ドル札5枚に交換 して!と50ドル札が偽札だったら困ります、皆さんはどうなさいますか? Keiko ★ちょっと一言! ※皆さん、お元気ですか?「名言集」の宮口です。 友人のジャーナリストがウクライナに入っています。ただただ無事を祈 るばかりです。独裁者プーチンに世界中が踊らされています。西側諸国 の一員として私達に出来ることはあるのでしょうか?正気の沙汰とは思 えません。 颯太(ふうた)は、我が家の愛犬です♪ ★皆さんのメールが何よりの励ましです。 出来る限り、お返事は差し上げますのでお気軽にメールして下さい。 当メルマガで掲載させていただくこともありますが、匿名希望と書いて いただければ実名を出すことはありません。 まずは自分自身を信じ、愛することから始めよう! ■今号はいかがでしたか? 驚くほど役に立つ「名言集」へのコメントをどうぞ! ⇒ https://clap.mag2.com/sloulaiphu/input ================================= ★知って得する生活情報 ⇒ https://no1tokutoku.web.fc2.com/ ★気になるニュース速報 ⇒ https://net-feeling.com/ ================================= ☆お勧めの「無料レポート」大公開☆ ◆先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」part1◆ ※今まで、メルマガでご紹介したvol.創刊号1~vol.50までの「名言」 を素敵な「名言集」に仕上げてレポートにしました。 ⇒ https://maxim.no1wizard.com/page-34 ------------------------------------------------------------------------------ -先人の知恵に学ぼう!驚くほど役に立つ「名言集」- ■発行者 ≫ 宮口栄治 ■連絡先 ≫ lupin2936★yahoo.co.jp (★→@) ■驚くほど役に立つ「名言集」 ≫ https://maxim.no1wizard.com/ ■北海道の魅力 ≫ https://hokkaido2006.com/ ■旭川時事英語研究会 ≫ https://english.no1wizard.com/ ●Miyaguchi Diary ≫ https://plaza.rakuten.co.jp/lupin2936/ ------------------------------------------------------------------------------ ※メルマガ解除はご自身でお願い致します※ ★まぐまぐ ≫ https://www.mag2.com/m/0000147942.html ★ミニまぐ ≫ https://www.mag2.com/m/M0038759.html ------------------------------------------------------------------------------ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年03月04日 05時00分06秒
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