|
テーマ:ニュース(99555)
カテゴリ:社会
またしても学校の中で凄惨な殺人事件が起きた。犯人は17歳、学校にも行かず、働くこともなく家にいるいわゆるニート。ニート全てが彼と同じように思われることは問題だが、このような無業者が深い闇へ嵌り込みやすいのも事実であろう。
私にもニートのような時期はあった。引き籠もることはなかったが、物事を悪い方へ考えがちで、私の場合はそこから逃げ出したくて、もがき苦しんでいた。だが、それが居心地のいい人もいるだろう。今回の犯人がどうだったのかはわからない。しかし、社会との関わりを断っていたことが、暴走する一因になったことは間違いない。 人との関係を持たないことは確かに楽ではある。しかし、思考パターンが固定化されやすく、一旦サークルの中に嵌ってしまった思考は断ち切ったり、変化させたりする刺激に乏しい為、そのまま思念が固まって強化されやすい。「あいつが悪い」と思いこんだら、その思いはどんどん加速していく。それは自分の経験上からもわかる。 私には少林寺やスピリチュアリズムといった精神的支柱があった。それは揺るぎないものであり、犯罪への心の動きを多々防止してくれた。だが、何もない人にとっては思いこみを変える手段がなかなかない。意見や考え方の違う人と共にいることでストレスは生まれるが、ストレスは必要なものであり、ストレスの全てが“悪”ではない。揉まれ叩かれて精錬されていく部分もあるのだ。しかし、対立するエネルギーが周囲に何もない人は却って不幸ですらある。 人は自然の中に好んで一人でいるならば、精神を純化させていくことも出来るが、大勢の中での孤独を選んでしまったら間違いなく闇を背負う。足りないものは自然環境の中に一定期間身を置くことと、集団で何かを創造する機会を得ること。自然は最高の教師である。そして、大勢で何かを創り上げる喜びは必ず闇を照らす光の力を生み出す。社会がこれをサポートしてやれば闇の広がりは防げる。 今、再び教育制度が変えられようとしている。ゆとり教育を標榜して僅か数年で、実質的に詰め込み教育に戻そうという動きが加速している。これは表面上は「ゆとり教育の概念は間違っていなかった」という前提だけに余計ねじれを生じ、現場が混乱することは必定であろう。 一番大切なことは学力よりも人格形成だ。今の日本で世界一の学力を取り戻すことを至上命題とするなら、社会の歪みは加速せざるを得ない。希望は“誰かの役に立つ”喜びの中にある。それは手を伸ばすならば誰にでも必ず目の前にやってくるものであり、今の教育に最も必要なのはそれを手にする様々な場を提供することだ。そして、その延長線上に“学びたい”心が生まれるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/02/16 01:34:45 PM
[社会] カテゴリの最新記事
|