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テーマ:ニュース(99556)
カテゴリ:社会
駒大苫小牧の暴力問題はやっと当事者同士の和解が成立し、学校内部としては一応の決着を見た。しかし、被害者側の言い分である40発のビンタが20発以上に減り、加害者側の言い分である3~4発のビンタが10発以上に変わるという、双方の過大・過小報告があった上に、最終的にバットや拳でこづいた数も合わせてと言うような話になり、どっちにも嘘があったことになる。
しかも、当事者だけではなく、傍にいた他の部員などからも事情を聴取し、第三者機関が状況を調べたにもかかわらず、最後まで殴打回数について加害者・被害者双方の溝は埋まらなかった。終いには殴打回数の違いにこだわる父親に対し、部員が泣きながら「もういい。お父さん。これに関してはこれでいい」と制止して合意に至ったという。 周りで見ていた者達の話も聞きながら、なぜ状況が一つにまとまらないのか? 依然としてどっちかが、もしくは両方が嘘をついている以外にそれはあり得ない。あまりに大事になってしまった故にもはや最初の言葉を大きく変えることが出来なくなってしまったのか? とても後味の悪い決着である。しかも、教頭が被害者の生徒の事情聴取の際、生徒を丸め込もうとする意図の見える発言をしていたことも明らかにされ、なんとも学校側の対応がいやらしい。 ただ、この事件に関して確かに教師は行き過ぎだっただろう。感情が激しすぎて必要以上の許されない行動を取ったことは確かだ。しかし、この教師は他に暴力をふるっていたという話は出てこない。この生徒に対して、しかも「ぼこぼこに殴られた」と言っていながら以後全く話の題材にならなかったスリッパ事件を除けば、具体的な暴力事件は一度だけ。忘れてはならない問題はなぜこの教師がそこまで怒らなくてはならなかったのかということだ。 この生徒にそれだけの問題ある態度がなければ、起こらなかった事件である。新聞では生徒が被害者としてただ可哀想なように書かれているが、野球部としての団体行動の中でやってはいけないことをしたからこそ、教師は本気で怒った。それを見ずしてただ暴力だけが騒がれるなら、誰も本気で叱ることなんか出来なくなる。現に今は親からの苦情が恐くて叱れない教師が増えている。今の学生にマナーが非常に悪いの者が多いのは、確かにここに一因があるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/08/27 05:47:35 PM
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