週刊《ひとりごと》第34号(2019/11/16~11/23)
第34号(2019/11/17~11/23)2019/11/17《先週の金曜日は…》病院清掃が非番でしたが…普段の仕事がハードなせーか、午前中ずっとダウン。夕方、よーやくショッピングモールとか行ったのですが…とりたてて買うモノとかなかったりとか。《因縁論》ミーコさんの《お慈悲のままに》は、2019/11/10の記事《どんなことでもしてしまうのが人間(It Is Man Who Does Anything)》を拝読して…↓(ミーコさんの感想を抜粋)ここで、「因縁論」と「運命論」、この二者の違いが明らかに示されています。仏教における因縁論では「因としての自らの意志をも認めている」こと、すなわち「その与えられた環境の中で努力するか、しないかが、将来のその人の縁を作っていく」のであると説明されています。よって、自分の運命は決められたものではなく、変えることができるということです。・従って、「縁さえあればどんなことでもしてしまうのが人間です( If the karmic cause so prompts us, we will commit any kind of act. )」が、そのような自分に気づき、(自らの意志で)悪い環境から抜け出そうと努力すれば、運命を変えることができるのです。 ・因縁論があってよかったというのが偽らざる気持ちです。↑それこそが、自分に与わった道を進む…自分だけの道を進む…てコトなんですね。・モノとかツイデと…2019/11/10の記事には(お慈悲のままに)、《檄(げき)を飛ばす》の本来の意味は「考えや主張を広く人々に知らせて同意を求めること」だったりとか書かれてたりとか。2019/11/18《空過(くうか)=空しく過ぎる》林遊さんの《用管窮天記》は、2019/11/12の記事にて、《空過》について書かれてたので、早速(林遊さんの)WikiArcは《観仏本願力…》の項へ飛んで、《空過》の意味を引文。↓『浄土論』の偈文観仏本願力 遇無空過者能令速満足 功徳大宝海・空過くうか(空しく過ぎる)とは、生きる意味も死ぬる意味も知らずに、ただ人生を空しく過ぎることである。天親菩薩はそれを「空過」であると示された。・少しく生きている意味を考察する人には「空過」とは恐ろしい言葉である。むなしく生きるとはやがて虚無の奈落に墜落するだけなのであった。・御開山(親鸞聖人)は、この『浄土論』の偈文に、本願力とは阿弥陀仏の浄土へ往生しさとりを完成する衆生済度の本願の意を見られて和讃されておられた。↓本願力にあひぬればむなしくすぐるひとぞなき功徳の宝海みちみちて煩悩の濁水へだてなし↑当方、48年とか振り返りますに…じつに46年間も、生きる意味も、死ぬ意味も、知らずにいたコトに…!南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏2919/11/19《自分中心のひと》手品師さんの《手品師》は、2019/11/17の記事《自分大好き人間》から…↓自分中心のひと(1)鬼のような形相で、聴聞しているような人は、自分の土俵に、阿弥陀さんをもってこようとしているのでしょう。思いっきり自力ですね。・自分中心のひと(2)助けるよ、という阿弥陀さま助かりたい、という私・お互いの思いは合致しているようですが、そうではありません。本願力回向の教え(阿弥陀さま⇒私)からいいますとどうも噛み合いません。そこに、私の自信がみて取れます。助かりたい、という思いが強いひとほど、空回りしているようですが、見方を変えますと、思いっきり阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のはたらきが、はたらいている姿ともいえましょう。↑昨日も、今日も、頭を痛めるコトとか色々とかあったケド…ソレでも、決してお見捨てにならない南無阿弥陀仏を頂けたコトを思い返せば…!・…ソレにしましても…自分の土俵に、阿弥陀さんを…とか…稲城選恵和上様(浄土真宗本願寺派)の御法話でも、「坊さんの言うた事と相撲とったら、仏法で無い様になる。」とも。(他力の信の特色は、イ信順性「そのまま」ということより)2019/11/20《モノマネだって、イツカは…》手品師さんの《手品師》は、2019/11/18の記事《お念仏》から…↓酒に三段階あり 。初めは 、私が酒を呑む 。次に 、酒が酒を呑む 。遂に 、酒が人を動かす 。泣く人 、口論する人 、笑う人 、けんかする人 。お念仏も 、初めは私がする 。だんだん 、お念仏様がお念仏を呼ぶ 。遂にお念仏様が全身を動かす 。南無阿弥陀仏【松並松五郎念佛語録 響流選書 より】↑(以下、手品師さんのコメント)モノマネをしていくうちにホンマモノになります。すべて、阿弥陀さまのお計らいなのでした。・おかげさまで 今日も 南無阿弥陀仏↑クドイよーだが…当方、一昨年の10月に他力信心が《わかり始めた》のだが…お念仏申すコトができるよーになるまで、更に半年くらいかかったモンです!《データベースから聞こえて下さる…》久々に、淳心房さんの《真偽検証》から、主に当方が初めてコメントを寄せた記事…2018/12/1分《コメント返信(現在の苦しみを「神の試練」と言われて納得している他宗教の信者と同程度の信心の親鸞会会員)》を読み返してみた。・私共は、林遊さんの膨大なデータベースから聞こえて下さる《南無阿弥陀仏》を聞かせていただくのでありまして、林遊さんの人物像等々は一旦ワキに置いとくべきであります。↑…てなコトを、林遊さんの《用管窮天記》は2010/10/29の記事《知識帰命》を読んで、思い起こしたのでありました。2019/11/21《一切衆生悉有仏性》ミーコさんの《お慈悲のままに》は、2019/11/19の記事《如来のひとり子 ( The Buddha’s Only Child )》から…↓ 「一切衆生悉有(しつう)仏性(ぶっしょう)( All sentient beings entirely have Buddha- nature.)」という言葉が『涅槃経』にあります。「すべての衆生は、生まれながらにして仏となる種(仏性)がある(『浄土真宗聖典』より)」ということです。・阿弥陀仏はすべての衆生を助けると、衆生が誕生するずっと以前に誓われていました。ですから、衆生の出生時に、阿弥陀仏から仏に生まれる命を与えられるのです。・浄土和讃の中の一首に「十方の如来は衆生を 一子のごとく憐念す」(如来は十方の衆生を、ひとり子のようにいつくしみ、あわれんでおられる)と歌われています。つまり私たちは、個々人が如来のひとり子であるのです。・このようなことから、浄土真宗の僧侶である大峯顯師は、自著の中で「私たちは阿弥陀仏の命(の一部)を生きているのである」と言っておられます。仏性を頂いたご恩と、命の大切さをしみじみ感じます。↑《一切衆生悉有仏性》…コレが本当なのに、親鸞会と来た日にゃ、《一切衆生必堕無間》とか!2019/11/22《自灯明・法灯明》真宗大谷派・五明山源信寺のHPは、第46号法話「聞法にめざめる」から、一部抜粋。↓浄土真宗では聞法、法を聞くということですね。「聞法をしなさいよ」というのが、今言われた、「よりどころを自分に求めなさい。そして、よりどころを探しなさい」ということで、「聞法をしなさい」と言われるのです。↑お釈迦様の仰った《自灯明・法灯明》ですね。2019/11/23《人間界は、苦海・堪忍土なれど…》久保龍雲先生(浄土真宗本願寺派)の昨日のツイートより…↓(プロ奢ラレヤーさんのツイート)どこかの知らない誰かが死んだニュースを見て「今日も死ななかったの、ホンマに奇跡やな」と実感する毎日である、すべては生存ボーナス、刹那、↑(龍雲先生のリツイート)「人間とはおそろしく不自由な存在だな」というのが、私が若い頃から感じていたことです。・生きていたいのに必ず死ぬ・いつ自分が死ぬのか分からない・死んだらどうなるか不明煩悩まみれの人間にとって、人生とは不自由で理不尽な苦界だと思います。南無阿弥陀仏↑(対する、太一さんのコメント)とても共感しました。私は肉体がある為苦しみが多くより不自由だと感じます。南無阿弥陀仏・(同じく、一念さんのコメント)まさしく人間の生きざまは、「生老病死」です。今、親戚の叔母さんが、がん末期で苦しんでいます。痛みとの闘いは尋常ではないはずです。肉体がある故に、楽に命を終えることはできないのが人間なのでしょう。↑(そして、当方の意見)そーなんです…生・老・病・死に、愛別離・怨憎会・求不得・五蘊盛…と、「四苦八苦」こそ、人間の生きざま…!・人間界とは、苦海・堪忍土であると共に、仏法に巡り合える確率が六道中で一番高い世界でもあります。・天上界・阿修羅界でも、人間界ホドでもナイケド、仏法に巡り合える機会はあります。なので…人間界・天上界・阿修羅界を合わせて《三善道》。・一方…地獄界・餓鬼界・畜生界を合わせて《三悪道》。地獄界は、熱い・痛い・苦しいの世界で、まともな考えなど浮かぶワケもナイ世界。餓鬼界は、欲しい・食いたいの渇望しかない世界で、以下同文。畜生界は、本能+(弱肉強食の掟への)怯懦(きょうだ)しかない世界で、以下同文。来週(2019/12/1)の《週刊《ひとりごと》第35号》は、2019/11/24~11/30分の記事を纏めて掲載する予定です。