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2010.05.08
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2008年に西鉄ライオンズ回帰で始まった、夏休み期間の「ライオンズクラシック」。昨年は、西武ライオンズが1980年代に着用していたユニフォームが復活、OB石毛氏がプロデュースした企画が目玉でした。

そして、今年は西鉄と西武ライオンズに挟まれていた「太平洋クラブライオンズ」が復活する。太平洋クラブは球界を揺るがした「黒い霧事件」で弱体化した西鉄に代わって、太平洋クラブとして1973年から1976年まで存続。
その後、1977年と1978年にも資本提携は続くものの、球団名は「クラウンライター・ライオンズ」を経て西武ライオンズとなる。

太平洋クラブ時代は西鉄黄金期が終わり戦力的にも資金的にも苦しい時代で、後に西武のエースとしても君臨した東尾が孤軍奮闘していた時代。打者では西武草創期にも活躍し「清原の打撃師匠」でもある土井がいた。
「山賊打線」を売り物としていたが長続きせず、結局、1977年からは経営母体となるクラウンライターへと譲渡される。

管理人はクラウンライターの頃からのライオンズファンであり、太平洋クラブ時代のライオンズへの関心は低かった。
それでも、ワインカラーの派手なユニフォームは記憶に鮮明に残っている。

クラシック・シリーズの西鉄が好評だったことから太平洋クラブを復活させるようだが、ここでも様々なグッズが登場すると思える。
監修を東尾元監督が務めるそうで、果たしてどのようなスタイルになるのかは正式発表を待ちたい。

これでライオンズ球団史を振り返るクラシックは「クラウンライター」を残すだけとなった。
2011年にこの2年間だけ存在した球団名は復活するのだろうか?
あの赤い派手なユニフォームは?クラウンライターのドラフト1位指名を拒否して読売入団を果たした江川元投手についての裏話は聞けるのか?
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Last updated  2010.05.09 10:44:53
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