|
カテゴリ:倫理
岩手宮城内陸地震の被害者も次々増えてきています。 生き埋めになった方々の一刻もの早期発見を願いたいものです。
さて 以前「愛すヨーグルト」の中国 四川大地震に関して、ちょっと過激な文章を書きました。 普段はなるべく感情移入しないようにしているのですが、あまりのデリカシーの無さにあきれ果て、若干過激になりましたことは申し訳なく思います。 実はこれには裏話があり、言わないつもりでしたが、アホなお人がおいでになるようなので、書くことにしました。 よって また若干過激になる可能性があるので、ご容赦。 詳しくは後日に書きますが、あのときは知人の中国人とコンタクトをとっておりました。 そこで、彼いわく、 「日本人ってお気楽、平和だね。 我々同胞が何万人も死んでるというのに・・・」と言われたのです。 もちろん反論はしましたよ。 私も一応 日本人ですから・・・ (詳しくは次回に) しかし 確かに言われればそのとおりで、国内じゃなく、あまり知り合いもいない中国奥地のことで、関係ないことかもしれませんが、何万人というのは未曾有の災害です。 しかも ほとんどが罪のない子供。 だから上記ブログで、「そりゃあ個人の日記ですから何を書こうが自由ですし、ケチをつけるほうがおかしいのかもしれません」と書きましたが、これについて昨日 詭弁を しかし、その前にちょっとこの一般的な問題に触れておかなくてはなりません。 そうしないと話が進めにくいもので・・・ 本題の挑戦に対しての防衛戦はまた後日に・・・ とてうことで、本日の本題は 「好き勝手」 尚、昨日のお題は 「チューインガム」 ご覧になってない方はこちらもどうぞ さて、先日 専門用語の羅列は良くない と言いましたが、その舌の根も乾かないうちから、専門用語が飛び出してきます。 ですから、おもしろくないという方はどうぞスルーしてください。 てか、わかってるなら書くなよ と言われそうですが・・・ すんましぇ~ん! さて 最近 利己主義な考えに基づく人間の事件が多くなってます。 自己本位、利己主義。 本来は西欧の個人主義を取り入れたことからきています。 まず、個人主義とは、国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する立場のことをいいます。 個人主義は、個々の人間の人格の独自性と自律性を重んじる立場であり、その時々に形成された場の雰囲気に流されることのない、一個人としての一貫性のある深く統合された思想と責任ある行動を高く評価します。 また 個人主義は、他者の拒絶や排除によって成り立つ利己主義とは異なり、自己のみならず他者の人格、意見をも尊重することをもって初めて達成しうるものです。 従って、他人の人格や意見を拒絶、排除をするようでは完全な個人主義とはいえません。 これでは単なるエゴイズムです。 他人に対するように自分を尊重し、自分に対するように他人を尊重しなければこういった考え方は充分に機能せず、エゴイズムの暴走を招くことになります。 そのため高度な知性と自己統制を必要とする生き方であると言えます。 また 個人主義と自己本位=利己主義は紙一重の関係であるとも言えます。(正確には、自己本位=利己主義ではありませんが、一応 同義語としてください) 両者は当然ながらその意味が違います。 しかし、現代社会の人々を見ていると、その意味の違いを理解していないように思えます。 個人主義は、個人個人の人間の主体性を重んじて、各々の個人が自由に生きることの権利が保障されている代わりに、個々の人間が集まって成立する社会に対して、個人としての自覚と責任を負うものだと思います。 一方、自己本位=利己主義は、自分が得することだけを行為の基準として、他人のことや個々の人間で成り立つ社会の利益を考慮することなしに、自己本位な生き方を推し進める考え方でしょう。 いわゆる自分勝手です。 よく 「カラスの勝手でしょ」 と言われることですが、確かに他人に多大な迷惑をかけない限り、民主主義世界では何をしようが勝手です。 これらの言葉に対するおおまかな定義からも、その違いが明らかだろうと思われます。 この定義に当てはめて、現代の日本人が個人主義というよりも非常に自己本位的であることが理解できるのではないでしょうか。 現代の日本人は個人主義と自己本位=利己主義をはき違えてしまっているように思えます。 第二次戦前の国家主義、全体主義的な日本では、個人の主体性を重んじる個人主義は絶対許されなかったでしょう。 敗戦によって、国家主義は崩壊し、そして西欧諸国の理念である民主主義が導入されました。 精神的にも物質的にも全く無の状態に置かれた日本人は、戦後の混乱期をただ食べるためにがむしゃらに働き、その結果として日本は物質的には非常に豊かになりました。 反面、精神的には非常に貧しくなりました。 現代の社会構造がそれをよく表わしていると思います。 人々は物に執着し、そのために拝金主義も多くいます。 もっとも 現代の世の中はたいていはお金で解決できます。 夢が無い と言われそうですが、90数%はそうでしょう。 ただし、お金では買えないものもあるのは事実です。 よく 愛があれば・・・などと言われますが、愛だけがあっても、お金が無ければ、崩壊することも多いのが現実。 周りにもそういう光景をよく目にします。 さて、話が少しそれましたが、日本は敗戦後、大幅な方向転換を余儀なくされました。 しかし 日本人の勤勉という国民性によって、戦後の日本人は皆無状態にまで荒廃してしまった日本を奇跡的とも言えるほどめざましく復興させました。 その一方で、戦後の日本人は西欧民主主義の基本である個人主義を受け入れて学びました。 表面上は・・・ しかし それを基礎にして日本人の精神的な価値観を再構築することをなおざりにしてしまったのではないでしょうか。 戦後の混乱期における日本人にとって、西欧の個人主義を学び、それを基礎にして日本人の精神的な基盤となる新しい価値観を再構築している時間などなく、ただひたすら自分たちの生活における物質的なものだけを求めていたように思えます。 西欧の個人主義は、西欧諸国の長い歴史を通して培われ、そして西欧社会の中で確固とした基盤を持つものに発達したと思われます。 敗戦によって、それまで日本民族が持っていた価値観が一挙に崩壊し、自分たちが培ったものではない他民族の価値観を導入しても、借り物の価値観は異民族である日本人の精神や社会風土の中に、一朝一夕に根付くものではないでしょう。 戦前の国家主義、全体主義が消滅し、戦後の西欧民主主義によって個人の自由が享受できるようになったとき、多くの日本人は、その自由を他人のことは構わずに、自己益のみを追求してよい とする利己主義と錯誤してしまったのでしょう。 戦前の日本では、個人の自由など考えられないような中、主体性を持つ自由な個人のあり方 という個人主義の観念など存在していなかったでしょうし、個人に対して自由が保障されること自体が、当時の日本人にとっては極めて奇異なことであったと思われます。 個人主義という概念を受け入れる基盤がなかった当時の日本人にとっては、自由だけに幻惑されて、自由を享受するためには社会的責任が伴うという、西欧の人々においては当たり前の観念を理解するまでには至らなかったのであろうと思われます。 その結果、家庭においても、学校という教育現場においても、西欧的個人主義を確立した民主主義が根を下ろしているわけではなく、自己本位=利己主義を個人主義とはき違えている人々が親となり、教師となって、子供たちを指導しました。 そういう指導者たちが教えているのですから、利己的な子供たちが多く出てくるのは当然といえます。 その子供たちが誤った思想のまま大きくなって、今また、親・指導者となっています。 もちろん 親・指導者すべてとはいいませんが、大半の者はそうであったろうと思われます。 ゆえにモンスターペアレントなどが生まれ、教職者の不祥事が多くなり、また 取り締まる立場の警察官の犯罪が多くなっています。 私の身内にも教職者、警察官、官庁勤務が数人いますが、残念ながら明確な個人主義をよく理解しているとは思えません。 他の人にも、明らかに自己本位=利己主義を個人主義とはき違えている人も目立ちます。 教職者ですらこの状態ですから、一般人はもっとひどいでしょう。 もちろん 教職者であれば文献などで意味は充分承知していると思います。 しかし 意味は知っているのと、実践できているのは違います。 最近の事件がそれを物語っています。 良識ある人間の目から見れば、現代の日本は目を覆いたくなるほどに、精神的に荒廃している現代社会のありさまは、物質的なものを追い、精神的な価値観をおろそかにしてきた結果といえます。 個人主義はともすれば、自由の意味をはき違えて利己主義になりがちですから、個人主義の根幹を成す自由というものの概念を各個人がしっかりと把捉しなければならないと思います。 社会において個人の自由が保障されるということは、それに伴って個人の責任が付帯されることを意味しています。 決して自分の思うまま好き勝手にしてよい という自由の意味ではありません。 自分が自由気ままに行動することで、他人の自由を侵害(これには意見の自由も含みます)するようなことがあれば、それは利己主義であって、断じて個人主義ではありません。 もっとわかりやすく言えば、自己を重んじるとともに他人をも重んじなければ個人主義とは言えません。 自己・自意を重んじるあまり、他人・他意を拒絶・排除するようでは、それはエゴイズムにほかなりません。 言い換えれば、他人への思いやりがあって初めて個人主義が成り立つともいえるでしょう。 他人への思いやりなくして個人主義は成り立たないと思います。 自己ポリシーの主張だけでは成り立ちません。 個人主義という、西欧の立派な概念を日本人が理解し、それが日本人の精神の中にしっかりと根づくには、まだまだ時間が必要とされると思います。 第一 先にも述べたように、前代の指導者たちが理解できてない人が多いのですから・・・ ただ これを理解し、実践できている人がいることも申し添えておきます。(非常に少ないですが・・・) 本業多忙のため、まったく更新してませんが・・・ ●別ブログ6/1の新着は「足のむくみ」 前回は「長野・聖火リレー裏話」 こちらも見てね 尚、迷惑書き込みがやたら多いため、現在 別ブログのコメント欄は承認後でないと投稿表示できません。 ご了承ください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年06月16日 21時20分54秒
|
|