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madamkaseのトルコ行進曲

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 marnon1104@ お久し振りです (。≧ω≦)ノ!! kaseさんのお誕生日だったのですね。 お元…
 marnon1104@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) kaseさん、こんにちは(*'▽')♪ …
 madamkase@ Re[1]:渡航記念日(03/16) 高見由紀さんへ こんにちわ、イスタンブ…
 madamkase@ Re:渡航記念日(03/16) marnon1104さん、こんにちわ。 3月に書い…
 madamkase@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) ひなのさん、おひさしぶりです。 トルコは…

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2017年05月09日
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【5月9日・火曜日】


 まだ外が明るい7時過ぎころ、マンション分譲会社の社長から一向に色よい返事が来なかったため、待ちくたびれたお父さんをエフェ君は姉のアイシェンさんの家に送って行った。

 オフィスには豪雨の後、アイシェンさんの友人で、チーデムさんという女性が来訪、もともと彼女がこの物件はどうか、とアイシェンさんに勧めたらしい。チーデムさんも話がどうなったかと、応援に来てくれたのだった。


 8時過ぎにやっと社長がいくらか譲歩が見える回答を寄越したので、販売部長や女性係長とエフェさんは長い長い攻防の末、話がまとまったのを喜んで、ついにそれで手を打ったのだった。部長はみんなにトルココーヒーを淹れるように社員に命じ、それからは和気あいあいでひととき談笑し、8時半過ぎに私達4人はオフィスをあとにしたのだった。


 エフェ君は「由美子さん、遅くまで済みませんでした。いまから夕飯に行きますが、場所は私に任せて貰っていいですか」と言い、もちろん異議はなく、マキコさんと私は後部座席であれこれ話し、別れを惜しんだ。

 エフェ君が連れて行ってくれたのは、去年5月8日の午後、私達が初めて知り合い、まず私が案内したメフテル軍楽隊のコンサートを楽しんだ後、チャイを飲みに行ったオルタキョイにあるボスポラス大橋の橋脚の真下、崖の傾斜地に築かれたポリス・エヴィ(警察官の家)だった。エフェ君も姉の夫エンギンさんも警察官で、昼間一緒だったお父さんもかつては警察官だったのだそうだ。

mehter  
2016年5月8日、メフテル・コンサートのあと、記念撮影。

makiko  
ボスポラス大橋のたもとにあるポリス・エヴィの出口への階段でマキコさんと。


 楽しく過ごしたあの日から2ヵ月余り経った2016年7月15日、それこそトルコ国民には寝耳に水のクーデターが勃発したのも、この橋の東詰、アジア側の入り口を軍人達が占拠し、ヨーロッパ側への通路を遮断したのが発端だった。クーデターはその夜のうちに制圧され、未遂に終わったが、軍人や一般市民にも大勢の死者・負傷者を出し、政府は全土に「非常事態宣言 OHALオハル」を発し、オハルは3ヵ月ずつ延長されて、トルコはいまだに非常事態宣言下にある。

 50年も親しまれた「ボスポラス大橋」の名は、事件から2日後、多数の犠牲者を出したことから、現在の「オンベシ・テンムズ シェヒットレル・ガージーレル・キョプリュスュ(ああ長い、7月15日 戦死者達・戦傷者達の橋)」と改められた。

 今年の元旦に恐ろしいテロリストのナイト・クラブ襲撃・乱射事件のあった現場は端から北に100メートル程度しか離れていないが、その恐怖や傷跡もようやく薄れ、本日もオルタキョイは賑わっており、このポリス・エヴィの別館では結婚披露宴のまっ最中だった。

 崖の上に張り出したテラス席に4人で座り、エフェ君はガルソン達のサービスがなっちゃいないよ、と文句を言いながら、どんどん自分でガルソン溜まりに行って指図している。

 アジア側に渡る車線が斜め上にあり、橋の上は順調に車列が流れているようだった。そのうちに雲が少しずつ切れて、赤く照明された吊り橋のゲートに張られた鎖の間から、月齢十三夜のほぼ円形に近い月が顔を出した。

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旧名ボスポラス大橋の巨大なゲートの向こうに、雲を破って月が出てきました。
 


 あと2ヵ月ちょっとで、衝撃的だった去年のクーデター事件の発端、7月15日が来る。この橋の対岸、アジア側からヨーロッパに向かう車線が、トルコ陸軍の幌を掛けたトラックが何台も道を塞ぎ、迷彩服とヘルメットの軍人が大勢出動して長い銃を構えている、あの生中継を夜っぴいて見つめているうち、大統領一家が夏の休暇を過ごしていたマルマリスのホテルが襲われたとか、アタテュルク空港が閉鎖されたとか、恐ろしいニュースが矢継ぎ早に飛びこんで来た。

 国営放送が反乱軍に乗っ取られ、気丈なベテラン女性アナウンサーが、取り乱すことなく反乱軍の命令を全国放送の電波に乗せた。大統領は携帯電話で民放各局に呼びかけ、その携帯に向かって、国民がどうすべきかをアナウンスするエルドアン大統領の沈着な演説を流し続けた。

 アンカラでは戦闘機F16が夜空を駆け巡り、国会議事堂の一部や警察本部やジャンダルマ(軍警察)本部を爆破させている映像が、記録映画のようにちゃんとしたアングルから撮影されて生中継されている、という不可思議な映像を追いかけているうち、戦闘機がイスタンブールにも到達して、何度も向きを変えたり急上昇する度に、ドド~ンと恐怖の底に叩きこまれるような噴射音の響きに心底怖くなって布団を被って丸まっていた。

 戦闘機が超低空で周辺を旋回する度、わが家の窓ガラスが大きくガタガタと音を立てて揺れている。それなのに、テレビでは、月星の赤い旗を振りながらみんなが続々と広場を目指してどの路地からも果てしなく湧き出してくるところを生中継していた。

 どこにあんなに国旗が用意してあったの~?と驚きながら、本当に映画のようだと思った。アタテュルク空港にはタンクが続々と詰めかけているとか、あちこちから人が集まり、素手でそのタンクによじ登っている群衆もいる。

 ほどなく先進国の仲間入りをしようとしているトルコだよ~、クーデターなど起こる蓋然性がないじゃないか、と信じられない思いのまま、潜っていた布団の中で疲れ果て、いつしかそのまま眠ってしまったようだ。

 
 今日、赤い橋の下に座ったものだから、ついついそんなことを思いだしてしまい、お腹が空いていたはずなのに、料理が届いても実際にはいくらも食べないうちにもう何も入らなくなって、持ち帰りしてもいいか尋ねた。

kofte  
キョフテ。肉団子とラワッシュと言う薄いパン、ピラフや野菜がついてます。

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チーデムさんとエフェ&マキコ・カップルには9月の結婚式で再会の約束を。


 エフェ君がすぐに合図してガルソンを呼び、パッキングを頼んでパンやシガラボレイなども全部袋に入れてくれた。もう10時を回っているので、ここからはタクシーで帰るから、どうかまっすぐ帰って、と言ったのに、エフェ君は「大丈夫、大丈夫!」と家の前まで送って来てくれた。

 私は私で、送って貰えたのは嬉しいが、マキコさんを空港に送りこむのに間に合うのだろうか、と心配しながら手を振って車を見送った。

 空腹だった猫達に夕食を与え、アイシェンさんにお礼と様子を聞くために電話してみると、ちょうどカップルも家に到着、これから2台の車に分乗して、お父さん、お母さん、アイシェンさん一家全員でマキコさんを見送りに空港に行くらしい。

 10日の午後、自宅に着くや否や、マキコさんは「大変お世話になりました。無事に成田に到着、12時間のフライトはきついですね。でも頑張ります」と、メッセージを送って来てくれたのだった。9月の結婚式に再会する約束は、あともう、たった4ヵ月待てばいいだけになった。
 







   かに座さそり座いて座
かに座さそり座いて座



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Last updated  2017年05月16日 21時22分12秒
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