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カテゴリ:難病ALS患者に愛の手を
さて、今日はクリスチャンハンドブックを通して「教会とは何か」について、ご一緒に学びたいと思います。
聖書は教会について、キリストのからだであるということと、キリストにあって一つに集められた者たちの集まりであると教えています。 「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」(エペソ1:23)。 ふつう「教会」と言うと、教会の建物または礼拝の場所をイメージすると思います。しかし、エペソ人への手紙のみことばによれば、教会とはキリストのからだであると言われています。また「御子はそのからだである教会のかしらです」(コロサイ1:18)ともいわれています。 ですから私たちの信仰告白では「教会は、キリストをかしらとするからだ」であると述べています(第8条)。したがって教会とは、建物や礼拝の場所を意味しているのではなくて、キリストをかしらとする、キリストのからだなのです。これは教会の最も本質的な表現です。 また「私たちはキリストのからだの部分だからです。」(エペソ5:30)とも言われているように、キリストのからだを構成するのは、私たちひとりひとりのクリスチャンです。キリストを救い主として信じた私たちは、キリストをかしらとする、キリストのからだである教会の一員として加えられます。このように言う場合には、教会とは、クリスチャンたちの集まりであるということになります。このことを私たちの信仰告白では、「みことばの宣教により、聖霊によって新生した者の集まりである」と述べています。 教会には「エクレーシア」というギリシャ語が使われています。この「エクレーシア」という言葉は、もともとは「呼び出された者」という意味です。初代教会のクリスチャンたちが、自分たちの群れを表すために、この用語を用いたということには意味があります。すなわち、彼らは自分たちが神によって呼び出され、集められた者であると自覚していたのです。教会はキリストにあって一つに集められた者たちの集まりなのです(エペソ1:10)。最初のクリスチャンたちは毎日、心を一つにして神殿に集まって、祈り、神を賛美していました(使途2:41-47)。 ですから、キリストを救い主と信じ、聖霊によって新生した者は、同じ信仰を持つ者たちと共に集まり、神を礼拝し、交わりを持ち、教会を建て上げていくのです。ただひとりだけでクリスチャンということは、聖書の教えではありません。主にある兄弟姉妹とともに、交わりを持つというところに、教会としての重要な意味があるのです。 クリスチャン・ハンドックより抜粋しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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