横浜、いろいろな町
横浜というと、みなとみらいのイメージが強いかもしれない。ランドマークタワーに赤レンガ倉庫、カラフルな観覧車、堂々と浮かぶ日本丸。山下公園には氷川丸だし、中華街も美味しくて大人気。でも、文明開化の町横浜はきらびやかな表の世界の裏に、当然のごとくそうではない世界も隠し持っている。先日書いたけれど、つい最近まで青線地帯だったという黄金町をきっかけに松影町や寿町など、少し違う横浜に興味を持ち始めた。思い出した話もちらほらある。かれこれ15年くらい前のこと。職場にばんからでおおらかな職員さんがいた。 明るく元気な女性だった。年の頃、50代半ばとみた。自宅は寿町だという。「あら、素敵な所ですね。縁起が良くてお目出度い感じがいいですね(^O^)」と私が言うと、彼女がハテナ? という表情をした。そして、『とんでもない!朝早く家の外に出たら、死んだ人が道端に転がってるよ。』 という。「えっ、………………」と、私は絶句。『横浜の寿町って言ったら、ガラの悪い所で有名なんだよ。』「…………そうですか。……」寿町界隈ではお家の無い人たちがどうにか命を繋いでいるらしい。その話をしてくれた彼女は、個人経営の会社を営んでいる方の奥さま。つまり、社長婦人だった。年末に、 不動産屋さんの従業員の男の子と話す機会があり、松影町のことを聞いてみた。ちょっと車で連れてってよ。と、頼んでもみた。『あそこは、行かない方がいいですよ。行っても、車から降りちゃダメですよ。どうしてもというならちょっと寄ってあげますが、異様な雰囲気で僕だって車から降りたくないんですよ。』という。JR石川町駅から徒歩4分くらいのその場所。元町というハイソな商店街やフェリス女学院音楽部など横浜を代表するお洒落な場所と隣り合っているのに。それって……。行ってみると、昼間から所在なげな男性高齢者ばかり。実際には50代、60代なのかもしれないが。女性は一人も見かけず。ラフな服装のオジサンタチがうろうろしていた。お酒の瓶を片手に……という光景はあとから頭に浮かんだイメージか。1泊1,500円くらいの簡易宿泊所に住んでいる人も多いそうだ。たまに地方から出て来た若い男性が、知らずにその辺りのマンションに入ったりするという。石川町駅から近いんだもんね。それで40,000円ほどのマンションなら住みたくなるだろう。他にも、遊郭があった保土ヶ谷付近やあちこち。福富町・末吉町・日の出町曙町・初音町などなど。赤線だったら、永楽町・真金町 にもあったとか。目出度い名前の町ほど少しいわく付きだったりしそう。だからって、住所にその町の名前がついているとそこはいかがわしいのかというと、それは違うはず。今の時代だものすっかり様変わりして、マンション群になっている所も多い。現在、横浜公園のある場所に「岩亀楼」があったこともつい最近知ったばかり。横浜の遊郭は、幕末からあったらしい。横浜は、気取っているだけじゃない。懐が深いというのか、たくさんの物語を抱えている。そう言えば! と、メリーさんの話も思い出した。伊勢佐木町の森永ラブにはかつてメリーさんの指定席があったそうだ。(今は、森永ラブもないですよね。)メリーさん、お金は持っていないけど町の人たちが親切にしてあげたらしい。毎回無料で髪を切ってあげていた美容院もあるそうだ。戦時中? 戦後すぐ?アメリカ人相手の娼婦だったメリーさんはある将校の現地妻だったという人もいる。顔を歌舞伎役者のように白粉で真っ白にして、白いヒラヒラのドレスで町を歩いていたそうだ。アメリカの軍人さんたちが国に帰ってしまってからの生活はとても厳しいものだったとか。どうやって食べつないでいたのか……。でも、メリーさんにはメリーさんなりのプライドがあったようだ。もともと、とても綺麗な方だったのだろう。一時は、 人も羨む豪華な生活をしていたに違いない。だから、老婆になっても自分なりのお洒落を貫き通したのだろうと思う。メリーさんを何度も見かけたという人も 私のまわりにいるのです。世紀が変わり2,000年になったばかりの頃はまだメリーさんは伊勢佐木町を歩いていたのかな?