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カテゴリ:コーチング
自分にしか興味がないのは人間の本性であり、
それゆえ根本的な「認められたい」という欲求を持ち、満たそうとする。 中には、その欲求が強ければ強いほど、 「私を見ろ」というコミュニケーションに陥り、人が離れていく。 そしてその人は集団の中で生きにくくなる。 その欲求を満たそうとすることは決して悪いことではないが、 結果その欲求が満たされることはなく不幸になっていく。 つづきです。 A:極端に自分のことを話し「私を見ろ」というコミュニケーションになってしまう。 B:極端に自分のことを聞き役に徹して「いい人です」を演じ、自分を押し殺す。 上記の人間の本性と、A・Bのコミュニケーションの問題に対して いろんな回答をいただいきました。 3月6日の日記 その後の、かっくん☆ななみさんや、ちょぎ。さんのコメントも本当に刺激的です♪ コミュニケーションについてさらに考えるきっかけをいただきました。 ●かっくんさん おもしろい♪♪ たのしいっ♪♪ それぞれの皆さんの声が思いのバイブレーションが回転して集結し ひとつの球体になっていく……まんちゃん、これが『答え』かもね…(*^_^*) ●ちょぎ。さん なかなか難しい話で読むのがやっとなんですが、個と集団で思い出した事がありました。 最近どんなささいな事でも人が生きている限りいつも誰かに 何かしらの影響を与えているものなんだなという事を思いました。 例えば電車で人が乗ってきたらそれに合わせて周りがすこしずつ位置をずれるとか。 先日赤信号で待っている時にできた車の列の中にいてふとライブの時みたいな 『仲間意識』が生まれました。 そしたらなんだか前後に他の車がいる事が逆に安心になりました。不思議です。 「やさしいベイトソン」金剛出版 野村直樹著 には 「平穏と動揺の同じキャンバスに描かれたバリの絵は、どちらか一方を求めることの間違いを指摘し、 平穏と動揺の相互依存という関係性を表している、とベイトソンは言う。 ふつうわれわれは原因と結果を直線的につなげて考え、強すぎる目的意識に毒され、 言語で済ませてしまう癖をもつ。これらの行きすぎを矯正するメッセージとして (もちろんそれだけではないが)芸術はある。」 まぁちゃん(ツイてるファシリテーターさん)やKAWAZOさんのコメントもこれに通じています。 ツイてるファシリテーターさん 僕は健全な表現活動をすればいいんじゃないかなぁと思います。アートの道を模索する。 KAWAZOさん アートの道はいいですよ。何でもアートになります。気功もアートになるかもね。 僕がこのようなコメントをいただいて気づいた『コミュニケーションのキモ』は 『「個」や「集団」そのものに焦点をあてすぎず、 それぞれの間に生まれてくるものに焦点をあてる』 というものです。 今あてているところの焦点をすこしずらすというニュアンスでしょうか。 僕がこんな問題提起をしていて言うのも変ですが 「自分にしか興味がないのは人間の本性」 これって本当にそうなの?と揺らいでいます。 ちょぎ。さんのいわれるように、わたしたち「個」はなにがしか影響を受け、また影響を与えています。 何かもっと大きな単位で、何かを『共創』していくのが本性なのかもしれませんね。 もしそうだとしたら自分たちは何を創っているのでしょう? 『「個」や「集団」そのものに焦点をあてすぎず、 それぞれの間に生まれてくるものに焦点をあてる』 そして『共創』という視点をいれていく・・・ これに関してもさまざまな意見をいただけるとうれしいです♪ この連載を今までお読みいただいたみなさん、 そしてコメントを丁寧に書いてくださった ツイてるファシリテーターさん、ちょぎ。さん、KAWAZOさん、かぐや姫さん、かっくん☆ななみさん coach_erikaさん、una+giinuさん、しのぶ☆kavinaさん、ごんちゃん 自分には到底考えつかなかった発想、アイデア、意見をいただけました。 こころから感謝いたします♪ (おわり) ●コーチング・個人セッション ↓癒しの1クリックありがとうございます。 ↓愛の1クリックありがとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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