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滞在中に、他の避難所も回って現状把握に努めているキャンナスのコーディネーターやドライバーの皆さんから、石巻の復興は遅れを取ってしまっているとの話を聞きました。
その理由は、津波の被害が甚大だった事と、それによって、道がしばらく寸断されていた事が大きな原因だと言われていました。 私がローラー作戦で歩いたエリアは、この先おそらく人はもう住めないのではないかと・・・それくらい冠水や地盤沈下が酷く、自衛隊が重機を入れて瓦礫を撤去していましたが、その重機がアスファルトに大き陥没した穴を開けてしまうこともあったようです。 一見なんともなっていないアスファルトですが、その下の地面との間には、大きな隙間が出来てしまったようです。 ご両親と一緒に片づけに来ていた高校生ぐらいの女の子に軍手やマスクを渡して話しかけたら、まだ学校再開のめどが立っていないから、片付けを手伝っていると、言葉少なめに話してくれました。 庭ではお母さんらしき女性が、家族の大切なものや思い出の品を、自衛隊の給水車から運んきた水を容器にため、手洗いしていました。 1階部分は天井近くまで津波で泥水が入って、大方の物を失っても、まだそこを片付けて住めるようにしようとされる、被災者の方もいらっしゃいます。 電気は通るようになった家もあったようですが、海水でダメージのあった電気回路は危険なので、総入れ替えをするように言われていると教えてくれた被災者の方もおられました。 もし国や行政が、この地域を危険区域で居住地には出来ないと判断したら、その努力は大半が無駄に終わってしまうわけで・・・ 滞在した8日間に国の調査団体がキャンナスステーションに調査にこられたりもしましたが、(一体何をやってんだ!)と心の中で叫びつつ、もっと早く動いて、現地に大切な情報をどんどん流して早急に対処してください!とお願いしました。 出くわした警視庁の4人組が、携帯している無線すら上手く使えないほど、見るからに明らかな臨時職員だったのも、余計に不安にさせられ、この震災の甚大なる被害を思い知らされたりもしました。 湊中学の近くに、津波に耐えた歩道橋があって、そのそばに神社の鳥居と小高い岩山がありました。 この岩山が、裏側にある建物を少し守ってくれたのかな~と思いつつ、無事だった鳥居に向かって、道の反対側から拍手を打って、復興の祈りをささげました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 17, 2011 12:27:53 PM
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