そうだ!江ノ島へ行こう!~ホツマツタヱの中の三女神~
ついこの間・・・白ゆでされた「しらす」を 美味しそうに食べてる旦那ちゃまをみて 思った。 生しらす丼たべたい~~。 富士山の帰り道に 冷凍のを買ってかえったっけ・・・あ、それよか 江ノ島~。 (江ノ島での生しらす写真♪)そいえば 今月の弁財天ナンバーの17日は、東京に居るし~~。 ちょい自由になる日だし、おまけに大安♪ そうだ!江ノ島へ行こう!! と 2月17日(日) 江ノ島行き決定しました。笑 丁度祈年祭のある日のようだし。 (問い合わせみたら・・神社内だけの催しで 10時から二十分くらいで終了だそうな。) 江ノ島は、二回目。 ライアで 初めて出来た曲 さくらばしを 弾いたのが懐かしい・・。4年まえ? 五大弁財天めぐりも 二巡目となるのかなあ。。なんちて。 ホツマツタヱ・・・お勉強ちぅと以前 日記にかきましたが・・ http://mixi.jp/view_diary.pl?id=615330323&owner_id=592588 歴史的に偽物だとされ 日本語学的にも認められていないこのホツマですが・・ 知れば知るほどに 面白い。 古事記 日本書紀は、これを元に作られた・・と考えたほうが納得するというような内容でございます。 古事記などは、天上界のお話になってますが ホツマツタエには、日本神界の神様が いみな(実名)を持つ人間であられた頃のお話が、描かれていて・・ それが 現在の神社の立地とかにも シンクロしてたりするのです。。♪ 江ノ島は、厳島・竹生島と並ぶ 日本三大弁才天のひとつ。 厳島、江ノ島は、福岡 宗像大社の宗像大社の 宗像三女神を祭ってある場所。 三女神についての ホツマツタヱに載っている伝承について レポートしてみま~す♪ ホツマワールドへ ようこそ♪?! ある日、天照大神(あまてるかみ 男性)は、十二后の一人である 北(ね)のうち后の早子を召されました。 大神は、その夜 こんな夢をご覧になりました。 その夢は、十握(とつか)の剣(つるぎ)が折れて 三段(みきだ)になり、それを さ噛みに噛んで 三つの玉にしたという夢。 その夢に 十握(とつか)の剣(つるぎ) 折れ三段(みきだ) さ噛みに噛んで 三玉(みた)となる 三人(みたり)姫生む 「タ」のいみな 「我れ 穢れなば 姫を得て 共恥みん」と 誓い去り その後、早子は三つ子を産み、三玉(みた)となった夢にちなみ いみな(実名)に「タ」をつけて タケコ タキコ タナコとされたのでした。 しばらくして 母親の早子、そして早子の姉妹の持子(持子も十二后のひとり)の逆心が発覚し、続いて 早子と密通していたスサノオ尊は、乱行に及んでしまいます。 それぞれが、流刑となり、持子、早子と娘の三女神は筑紫の赤土の命の宇佐宮に蟄居(ちっきょ)の身となりました。 後に成人した三女神は、母、早子とスサノオ尊の密情の過ちをはらさんがために 自らさすらいの旅をするのでした。 やがて 縁あって めでたく 竹子姫は、多賀近江の大己貴命(おおなむちのみこと)の妻となり、たき子姫は、香具山祇命(かぐやまつみのみこと)の妻となり、田奈子姫は、息吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)の妻となって 天(あめ)に還りて後に、それぞれ、沖津島竹生神(おきつしまたけふのかみ)、相模江ノ島神(さがみえのしまのかみ)、厳島善知神(いつくしまいとうのかみ)として 祀られたのでした。 竹子姫(田心姫)→ 大己貴命(おおなむちのみこと)の妻 →沖津島竹生神(おきつしまたけふのかみ) 湍子姫(湍津姫)→ 香具山祇命(かぐやまつみのみこと)の妻 →相模江ノ島神(さがみえのしまのかみ) 田奈子姫(市杵島姫)→息吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)の妻 →厳島善知神(いつくしまいとうのかみ) というわけで~ 現在、江ノ島と厳島は、三女神とお祀りしていることになっているし、竹生島は、三女神の中では、市杵島姫だけとなってはいますが・・ 実は、三女神が、日本三大弁才天の島に ばらばらにお祀りされていると思うと・・それはまた おもしろいなあと。 だって それぞれにバイブレーション確かに違ってたし・・ネ。 そして ホツマ なっとく~って言うもうひとつの点は、現在 宇佐神宮に 三女神の合体神として 比売大神が祀られているってこと。(マイミクのマブりんが教えてくれました) http://www.usajinguu.com/Frame.html どうしてここに 三女神が祭られているのかこの神社のHPでも 首をかしげている模様・・☆ でも ホツマには、ちゃんと 「持子、早子と娘の三女神は筑紫の赤土の命の宇佐宮に蟄居(ちっきょ)の身となりました。」のようなことが記されているのでした♪ そして わたしのチャネリングの記念すべき最初の存在は、この三女神合体神「ひめ」だったのでした♪(その後もサポートいただいてますが♪) http://mixi.jp/view_diary.pl?id=464175183&owner_id=592588&org_id=460597064 天照大神の十二后の話もおもしろい。 12人の后を 月と同じように 12人の后を配して また別にひとり 瓜生姫(うりゅう姫)を別においてるのです。 この姫の名前・・閏(うるう)年に関係あるかも~って。 そして 江ノ島の話に戻りますと。 「神社名鑑」によると 1182年4月 源頼朝が祈願のため この島の岩窟に弁才天を勧請したそうです。 そしてその年、頼朝の義父である北条時政が、祈願のために窟中に籠もったところ 一個の玉を感得したというの記載があるのです。 それは、ホツマにある・・ 三つの玉のひとつ、たき子姫の玉 すなわち魂をみたのではない?。 また、「さ噛みに噛み」・も 「相模」の語源ではないかと・・♪ な~んか 繋がっているでしょ? 次は、琵琶湖の竹生島の話。 竹子は、和琴の名手で 一人琴を弾きながらさすらう旅の最中に、にわかに あられが降り、竹子姫の傍らに生え繁る糸薄(いとすすき)の葉に当たったのでした。 すると ぱらぱらという音が、竹子姫が手にしていた「葛垣打琴(かだがきうちのこと)」に響いて、なんとも言われぬ神妙な音色を顕しました。 そこで 竹子姫は、薄の葉の形を写し取り「糸薄打琴(いすきうちのこと)」を考案されたのです。 かつて 琵琶湖は、糸薄打琴(いすきうちのこと)の名前からイスキ湖と呼ばれていましたが、糸薄打琴も琵琶も五弦琴であることから いつの時代からか琵琶湖という名前にすりかわったのではないかと ホツマの記載から 現在考えられています・・。 また 琵琶湖のびわ村に 都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)、現在は、市杵島姫 宇賀神、そして浅井姫命がご祭神として祀られてることになってますが、、 ホツマによると 竹生島神(たけふしまかみ)として祀られたことになっている 竹子姫も いらっしゃるの・・かもしれません。 都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)について http://www.norichan.jp/jinja/renai/tsukubusuma.htm また ホツマだけではなく 江の島は天武天皇元年(672年)、役小角が開基したといわれてるそうで・・。また・・役行者に呼ばれたのかも。なんちゃってね。 そうそう、江ノ島は、宗像大社と同じように 沖(奥)津宮 中津宮 辺津宮と 三女神を別々にお祀りしているのですが。。 そのご祭神が 違うのが 以前行ったときに 不思議でした。 ただ 市杵島姫の中津宮が 朱い社殿なのは、妙に納得でしたが♪江島神社・・奥津宮~多紀理比賣命 中津宮~市寸島比賣命、辺津宮~田寸津比賣命、 宗像大社・・沖津宮~田心姫神 中津宮~湍津姫神 辺津宮~市杵島姫神 (記載は、HPに載っていた字のまま) 江ノ島は、古事記、宗像大社は、日本書紀に書いてあることに準じているので表記や扱いに違いがあるとのこと。 でも 本来、ホツマによると江ノ島は、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)が祀られている場所。 辺津宮というのが、結構その場所の一番強いのエネルギーなのかもしれない・・と 勝手に思った私なののでした♪ 今回は、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)メインに・・・江ノ島へ行こう~っと♪ 写真は、2004年5月23日撮影 江ノ島 にて