テーマ:生涯学習(246)
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手術をしていたら矢張り受講は無理だったと思われる、五十嵐大介先生の「エジプト・マムルーク朝と修正イスラーム正解」をオンライン受講致しました♪ 最終回の本日のお題は一つの時代の終焉:マムルーク朝からオスマン帝国へ」 【備忘録】 1)イスラーム火薬帝国:オスマン帝国、サファヴィー帝国、ムガル帝国 2)マムルーク牙兵士としてのプライドが火器どう縫うを妨げたか? 3)オスマン集団は傭兵としてバルカン半島へ進出したのが、他のベイリクとの違い 4)イエニチェリはマムルークと同様に購入された奴隷だったり捕虜奴隷 5)15c、ポルトガルのインド洋進出 → アレクサンドリア港の荒廃 6)マムルーク朝艦隊のインド洋遠征:1509年ディウ沖の海戦で壊滅 7)ポルトガルが紅海に侵入 8)1516年マルジュ・ダービクの戦い、1517年マムルーク朝滅亡 9)支配エリートの供給を遠隔地からの奴隷輸入に頼っていたマムルーク朝 自国内のデヴシルメ制(イエニチェリ)に頼っていたオスマン帝国 10)火器・観戦を作る為の資材はエジプトでは不足、アナトリアでは豊富 マムルーク朝スルタンの顔の絵を見ると完全に白人なのが何とも不思議... ってトルコ系の人達(=元奴隷)なんだから当たり前だけれども、頭がバグる ( ̄▽ ̄) 映画のクレオパトラが白人なのを「おかしい!」と言っていた人がいたけど、あれもプトレマイオス朝はギリシャ人が立てて、その後近親婚を繰り返していたから、ギリシャ人のまんまだった筈 ( ̄▽ ̄) マムルーク朝の滅亡に奴隷貿易ルート&胡椒貿易ルートの変更が大きくかかわっていると言うのは、先日受講した岡本隆司先生の「アジア全史とつながる中国全史」とも通底するお話で、昨今の歴史に関わる学問の視座と言うものを伺わせて興味深い♪ 春学期には「キプチャク汗国」の授業をとるので、知識の穴となっている西アジア&中東方面を少し埋める事が出来るでしょう ( ̄ー ̄)ニヤリ 入院&手術準備&退院とせわしなかったので、結構お疲れでして、午後はダラダラして過ごしましたとさ!
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最終更新日
April 26, 2024 03:54:55 PM
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