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毎年この時期になると、年賀欠礼のハガキが届く 生きとし生ける者の運命。生を受ければ必ず死が訪れるのは仕方のないこと。 勿論、死んでも良い年齢などありはしないのだけれど、早すぎる死は、やはり悲しみもひとしおだ。
今日届いたのは、新潟市内で音楽教室をしていた私と同世代のTさんのお母様からの年賀欠礼のハガキだった。 逆縁・・・・辛い言葉だ。 我が娘を見送らなければならなかったお母様の心中を思うと、娘を持つ私としては言葉が出ない・・・・
Tさんは、新潟市内で音楽教室をやる傍ら、十数人のメンバーで組むバンドのリーダーでもあった。 今から15年ほど前に私が所属していた音楽同好の会では、毎年1回必ず1000人規模の文化会館を借り切って、生演奏での発表会をやっていた。
会員の半数は既に教室を持っている先生クラスの人たちだったので、発表会ではその生徒たちやファンが聞きに来て、会場はいつも立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。
その時のバンマスがTさんだった。時間の関係で前日のリハーサルと当日の本番だけしか音合わせが出来ず、いつもハラハラして歌っていた記憶がある
そんな素人の私を暖かく冗談を言いながら和ませてくれたのはTさん。 20人ほどのバンドであっても、音の厚さはなかなかのもので特に彼女のピアノの調べは大好きだった。
彼女と会わなくなってから12年ほどになるけれど、毎年年賀状を交わしてお互いの健康を願っていたのに・・・・ 私が石ちゃんと組んで歌っている事をとても喜んでくれて、年賀状に載る私達の写真を楽しみにしていてくれたのに・・・・
なんでこんなに早く逝っちゃったんだ もっともっとやることが沢山あったでしょう とても悔しい。悲しい。残念だ。残念でたまらない。 どうして旅立ってしまったのかは判らない。けれど、きっと心残りだったのでは・・と思えてならない。
昨年の春、私はあの世へ行きかけた。それ以前にも何度か命を失うような目に遭って来た。だけど私は生かされて、Tさんは神の元へ旅立ってしまった。
運良く、まさに運良く生きながらえて思うのは、人生は何ひとつ約束されたことなど無いってことだ。 だからこそ、毎日をしっかり生きて、生きて、生きて、自分が生きた証を確かめながら感謝して過ごしたい。
今頃、天国でタクトを振っているだろうか。ピアノで天国の人々を楽しませているだろうか。 それとも残したままの家族を心配しているだろうか・・・・
どうか安らかに眠って下さい。みんないつかは行く道です。いつか私が行った時、また一緒に音楽をやりましょうね。楽しい音楽をね ありがとう。そして・・・さようなら Tさん。合掌 (書いても書いても・・・言葉に尽くせない悲しみってあるんだよ。kazmin’)
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最終更新日
2007年11月22日 21時30分11秒
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