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カテゴリ:南正邦作品集
次回作へのプランです。
甥へのメッセージカードに描いたイラストです。 ところで。 私が、藤川勇造の「海鳥を射る」が、彫刻の規範だと主張しましたら、分からないとのご指摘をいただきました。 「私には、どうしても本当に射つ動作を捉えたポーズには見えません。 弓を本当に引いている力感が伝わって来ません。 海面にいる鳥に狙いをすませながら、飛び立ったので、それを追っているところなら理解が出来ます。 弓矢の照準が合ってなく、少なくとも弓矢を放つ直前の様には見えません。 下半身が不安定で支点なるものが見えなく、太陽を見ていて眩しく、それを遮るポーズなら分かりますが、そういうものとは、規範とは、また、別の構造的なものでしょうか。」 これが、私の悲しさです。 こんなに素晴らしいのに、わかってもらえないこと。 たぶん、こういう彫刻なら納得するでしょう。 ドイツ ポツダム サンスーシ宮殿 庭園彫刻 「水平方向の射手」 Orangerieschloss (Potsdam) 藤川勇造の 「海鳥を射る」は、 映像で言えば、矢を放った後の航跡を追っているシーンでしょう。 射つ場所は、船の上かもしれません。 インド人モデルを使って、インドで狩りをする実際のポーズを制作したと、藤川勇造は回顧しています。 ですから、ご指摘のように下半身は、波の揺れに任せて、自由運動を見せています。 しかし、上半身は、船の揺れに対して、強靭な胸郭で揺れを補正しながらも、目標を押さえた後の余韻が見られます。 何よりも、この彫刻の素晴らしい所は、人体の単純な最少の面取りの構成で作られている事にあります。 それが、動きや塊やシルエット、筋肉の力や骨格までも含めて提示させている所です。 藤川勇造の東京美術学校(現在の東京芸大)の卒業制作です。 「朝露」明治41年 こちらの方も素晴らしい彫刻です。 ミケランジェロの三つのピエタ像です。 24歳の作品 24歳のピエタは、卒業制作のように、モデルの正確な採寸と大理石への厳密な転写測量で、完璧な写実で作らてれいます。 ミケランジェロ74歳のピエタ 24歳より、強い表現になって、こちらの方が彫刻の構成力は強く発します。 ミケランジェロ84歳のピエタ ロンダリーニのピエタと言います。 84歳のピエタは、構造線のみを抽出して、重力を離れ、浮遊感さえ表現して、私は、こちらこそミケランジェロの感動の真骨頂のエネルギーを受けます。 私は、藤川勇造の「海鳥を射る」は、ミケランジェロのロンダリーニのピエタに匹敵する、後の彫刻を志す者への規範だと思っています。 なぜ、この彫刻が、かくあるべしと言う規範なのかを、言葉で説明できるよう、これからのテーマを頂き、彫刻とは何かに答えていこうと思います。 ありがとうございます。 これこそ、彫刻の中の彫刻です。 これを制作した彫刻家に、最大の敬意を表しています。 と言ってもわかってもらえないでしょう。 南正邦作「風の扉」1989(現存せず) この作品は、「ガンダーラのコピー」「作ってはいけない彫刻」「受付られない彫刻」と 酷評と落選の集中バッシングで、私も反論出来ず、そう思い、破棄しました。 1988年にこれを制作し、二科展に出品しましたが落選。運送中に破損して「壊れた彫刻を出品」と怒られました。 翌年の県展に補修して出品しました。すると「仏像」は審査の対象外と落選。 次の二科展に再度出品したら、「ガンダーラ彫刻の複製」と怒られて落選。「こんな彫刻を作っては、いけない」と制作態度を怒られました。 もちろん、ガンダーラでも複製でもありません。 西洋古典様式の技法で、髪型と衣装を東洋人に変えただけで、仏像に見え「作ってはいけない彫刻」の領域に入ってしまったのです。 私も混乱しました。作りたい彫刻を作って、持てる技術とエネルギーを注いで、自分でもそれなり成果が出せたと思っていたもの全て、作品だけでなく、作り手の感性まで全て否定されてしまいました。 この作品は、引っ越しの時に彫刻作品の大作は全て廃棄したものの一つです。 今、あらためて見ても、私が作ったこの作品の態度は、間違っているとは全く思えません。 振り返って思うと、あれは、やっぱり彫刻として正しかったと思っています。 最近、これを作った頃の感性に戻っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.02.20 18:42:28
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