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マックス爺のエッセイ風日記

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2008.11.24
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カテゴリ:生活雑記
<後輩の死を知る>

 目きょろきょろとつくば駅周辺を見渡してみる。ここ筑波研究学園都市に初めて勤務したのは34年も前の話。その頃ここは原野で、関東ローム層の赤土にやせた松が生えているだけの殺風景な土地だった。それがいまや茨城県内でも有数の大都会。商店も遠く、行商の八百屋さんや魚屋さんが宿舎に売りに来ていたあの頃には、とても考えられない変貌ぶりだ。びっくり

 スマイルその時前方から誰かが手を振りながら近づいて来た。幹事のT村さんだ。彼も後輩のF森さんも、30分前から待っていた由。ただし、待ち合わせの場所が違っていた。確かにその場所を聞いていたはずなのに、私が勘違いしたのだ。急いでそこへ行くと先輩のM坂氏も待っていた。彼に会うのは果たして何年ぶりだろう。どきどきハート

 バイバイF森さんとも1年ぶりの再会。二人に挨拶して握手。M坂氏はわざわざ私達に会いに来てくれたようだ。出世欲が強く、あまり好きでなかった先輩だが、今は好々爺のような笑顔を見せている。長い年月で変わるのは風景だけではないようだ。M先輩に別れを告げ、T村さんの車で早速筑波山へ向かう。車足跡

 クリスマスツリーバス実はT村さんに会えない場合に備えて、筑波山行きのバスの時間も調べていた。30分おきに出るようで、ずいぶん便利になったものだと驚いていたのだ。車はきれいに剪定された街路樹が茂る学園東大通を北上する。筑波大学のキャパスも車中から左手に見えた。昭和49年から10年間勤めた懐かしい場所。そして今月末にある「つくばマラソン」のスタート及びゴール地点でもある。今走っている道が、そのコースなのだ。マラソンきらきら

 富士山車車車筑波山登山道へ入って間もなく、道が混み出した。急にノロノロしか走れなくなり、車が数珠繋ぎになる。これは一体どうしたのだろう。この山へも家族で何度か来たことがあった。関東鉄道筑波線が通っていた頃は電車でも来たし、2人の子供を乗せて、妻と往復40km近い距離を自転車で訪れたこともあった。まだ若くて元気だった頃の話だ。うっしっし

 葉葉筑波山神社を過ぎた頃からようやく流れはスムースになった。どうやら筑波山は、関東では手ごろな紅葉狩りの名所だったようだ。県道から分かれ、細い山中の道をホテルへと降りる。ここへ来たのは7年ぶりくらいか。自然豊かな温泉ホテルだ。フロントでチェック後部屋へ行くと、今年70歳になるK間先輩がぶつぶつ文句を言いながら待ち構えていた。怒ってる

 スピーカそのうち、ラフなスタイルをしたN沢さんも部屋へ来た。今日は早めに来て筑波山へ登って来たとか。彼と一緒に仕事をしたことはない。私が筑波から徳島の鳴門へ転勤した後に彼が着任したためだ。ずいぶん太っているが、胃がんの手術をした由。ちょうど定年の時のこととか。その彼から意外な話を聞いた。10年ほど後輩のK谷さんが亡くなったと言う。死因は肝臓がん。どくろ

 ノートえんぴつ彼は我々の仲間では珍しく芸術学部の卒業だった。それを仕事にも生かして何冊かの本も出していた。彼が沖縄で課長をしている時に、職場へ寄ったことがあった。NAHAマラソンに出たついでだった。その後、彼は研究者への道に進んだようだ。そしていよいよこれからと言う時に体調を崩した。酒もタバコもやらなかった彼が肝臓がんで若くして死ぬとは。しょんぼり

 ドレス彼は職場結婚だったから奥さんも良く知っている。その奥さんとは私の最後の職場になった水戸の大学で一緒だった。これだから人生は分からない。仲間達も気の毒がって、なかなか奥さんに声を掛けられないと言う。気分転換に温泉に行き、部屋へ戻った後皆が持ち寄った各地の銘酒を賞味する。三重の酒はとろりと甘く、地元筑波の酒は芳醇なワインみたいな味がした。こうして勝手に宴会が始まった。日本酒ワイングラス目がハート<続く>





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Last updated  2008.11.24 17:55:50
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