カテゴリ:ウルトラマラソン以外の完走記
< 「沖縄本島一周」完結の旅へ >
「NAHAマラソンへ行かれるんですか?」。突然仙台空港のロビーでそう聞かれた。福岡便を待っていた時だ。「いや、福岡国際マラソンです」。そう答えるにはあまりにも爺さんの私。「ええ、そうですよ。しかしどうして分かったんですか?」私は逆に質問した。どうやらその人も福岡乗り継ぎで沖縄へ行くようだ。「去年もチケットが取れなくて、そんなランナーが多かったものですから」。 「へえ?」。何だか不思議だ。確かにジャージにランニングシューズでランナーと分かるが、いきなりNAHAマラソンに出ることを当てられるとは。「ホテルはどこですか?」。次の質問には答えなかった。彼は5回目の参加。沿道の暖かい応援が嬉しくてはまったのだとか。「私は12回目のエントリーだよ」と言うと驚いている。もし縁があれば那覇の街で再び会えるだろうし、ホテル名まで教える必要はない。 強い風が心配されたが、福岡便は遅れることもなく仙台を飛び立った。空から見えたのは富士山と中央アルプスと近畿地方の日本海側の海岸。そして次に見えたのは広島市街と宮島と瀬戸内海の島々。四国から九州までの大パノラマを眼下にしたのは初めてのこと。やがて関門海峡と関門大橋が見え、北九州市に続いて福岡湾、海の中道や能古島が見えた。 福岡空港のロビーで沖縄の走友へのお土産を買い、時間まで本を読む。持参したのは宮城谷昌光著「青雲はるかに」の上巻。出だしが悠長なため、暫く放っておいた本だ。これが読み進むうち惹き込まれるほどの面白さに変わった。那覇便も定刻通りの出発。窓際でもなくずっと雲の中だったため、読書のスピードがさらに増した。 那覇空港から直接モノレールで奥武山公園へ。翌日のレースのゼッケンを受け取るためだ。公園内には新しい野球場が完成していた。22年前に赴任した時は、あまりのボロさに驚くほどの野球場。だが、当時は栽監督率いる沖縄水産が甲子園で大活躍した時代で、足繁く通ったものだ。その球場が「沖縄セルラースタジアム」と名を変え、面目を一新していた。 登録会場の武道館には長蛇の列。今や空前のマラソンブームで、今回は定員を2万5千人まで下げて先着順とした由。なんでも県外が1万5千で県内が1万。先着順のせいでとうとう数字が逆転したとか。ようやくゼッケンを受け取ってホテルへ行ったが、まだチェックイン前だったため、トイレ内でランニング姿に着替え、荷物をフロントに預けた。 リュックの中には着替えなどを入れたが、ランニング姿のままタクシーに乗り込む。気温は23度ほどだから全然寒くはない。運転手に行き先まで最短距離で行って欲しいと告げる。多分3千円で間に合うはずだがどうなるか。車窓から南島の風景を眺めながら、私はこれから走るマラニックのことばかり考えていた。今回30kmを走れば、3年越しでの「沖縄本島一周」が達成出来る。だが、NAHAマラソン前日の30km走が無謀な冒険になる可能性もある。 具志頭(ぐしちゃん)三叉路へは3時ちょっと前に着いた。料金は2880円。やはり計算通りだった。自販機でスポーツドリンクを買い、3時ちょうどに走り出す。日はまだ上空だが、風のせいか案外涼しい。これなら楽に走れそうな予感。旧具志頭村役場が、合併後の八重瀬町役場に変わっていた。ここは沖縄本島の南端。今から海岸沿いに知念半島を一周する。アガリウマーイ(東回り)の始まりだ。<続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ウルトラマラソン以外の完走記] カテゴリの最新記事
|
|