マックス爺のエッセイ風日記

2020/01/15(水)09:13

大連旅行から無事帰宅しました(謝々!)

旅、温泉(359)

<大連と旅順への旅を終えて>   ご無沙汰してました。1月11日(土)から4日ほど、中国の大連と旅順に旅行しておりましたが、昨夜無事帰宅しました。留守中にたくさんのコメントをいただき。ありがとうございました。帰宅直後から溜まった洗濯物の洗濯。不用品の始末、お土産の仕分け、持参したものの整理、撮影した写真1327枚のPCへの取り込み、夕食の準備とお向かいさんへの挨拶、など雑事に追われていました。     大連  今回の旅は思いのほか得る物が多く、私にはとても有益なものとなり、感謝しています。                <大連・ロシア人街>  ご存知の通り大連は旧ロシアの租界地でもあり、日露戦争で日本が勝利した後は、旧満州国の主要都市でもありました。日本人が移住して満蒙の大平原を開拓し、鉄道網を敷き産業を育成した土地柄。また日清戦争の結果自由になった朝鮮人がより豊かな暮らしを求めて参集するなどして繁栄したのです。大連には旧「満州鉄道」本社はじめ日本企業が進出して、文字通り「五族共栄」が図られたのです。            <旧日本関係の建物とイルミネーション>  だが、その豊かな暮らしも第二次世界大戦直前の突然のロシア参戦によって全て失い、日本人は大連から船に乗って命からがらで帰国したのです。また大連近郊の旅順には東鶏冠山、「203高地」など、日露戦争の激戦地が不幸な歴史遺産として保存されています。さて当時邦人が建築した近代的な建物群(ロシア建築物も含む)は、中国政府によって今も重要な文化遺産として保存、使用されています。                <大連の夕景>  さて今回の旅の引き金になったのは、「坂の上の雲」、「アカシアの大連」、「大地の子」らの作品群でした。私には遥かに遠い明治、大正、昭和前期でしたが、やはり訪れて良かったです。我々の父祖の足跡を辿るだけでなく、あの戦争を中国の国民がどう受け止め、日本人にどんな感情を抱いているのかを肌で感じた旅でした。今回日本の一市民として、私たちなりの「民間外交」が果たせたのではと信じています。     正直、大連のホテルはまだ未整備です。仙台―大連の直行便就航で今回初めて彼の地を踏みましたが、観光もそして中日友好もこれからでしょう。しかしこれまでTVでしか知らなかった中国の市民と接し、彼らの本音と実態に接することが出来たのは貴重でした。こんな小さな触れ合いで互いの誤解が解け。やがて相互理解へとつながれば、嬉しいですね。                今回持参したデジカメが2台ともバッテリー切れで最後まで写せませんでした。またPC に取り込んだ写真の整理にも相当の時間を有することでしょう。留守中にいただいたコメントへの返事もまだしておらず申し訳ありませんが、今は疲労回復と日常生活への復帰を優先します。失礼の数々は、どうぞお許くださいませ。とりあえず帰国を報告し、ブロ友さん、読者の皆様への御礼に代えさせていただきますね。では、おやすみなさい。そしてお早うございます。你好(ニーハオ!!)。

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