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マックス爺のエッセイ風日記

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2021.02.19
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~雪の日の悩み~

  

 日本全国が荒れ模様とは聞いていたが、外を見ると雪が積もっていた。南九州でも雪とニュースで言っていたので、仙台が雪でもおかしくはないのだが、全く予想してなかったのですっかり慌てた。この日は月に一度の俳句教室の日。自転車で行けない場合のことを想定しながら先ずは雪かき。でも気温はさほど低くはなく、簡単に融けそうな気配。先ずは清書した俳句をコピーしに近所のコンビニへ。


              

 どれだけ出席者がいるかは不明だが、念のため24人分を用意。短冊1枚に3句を並べて書いてある。昼近くなって道路の雪が融けた感じ。これなら自転車でも行けそう。急いで昼食を摂り、3.5km先の会場へ向かう。日陰では凍っていた箇所もあったが、無事に到着。会場のセンターで検温と手指の消毒。教室に入ると私が最後の方だった。慌てて「短冊」を配る。この日の兼題は「立春」。私の俳号「真楠」(マックス)が最後に呼ばれるいわゆる「とり」。一応優秀作と認められたのだろう。

  1)  立春や子の消息は知らねども

  2)  托鉢の僧にも春は立ちにけり

  3)  山鳩の番なるべし春障子  *つがい

1)は「取り合わせ」で季語と無関係のことを中の句以下で詠む。2)は立春と対極にある都会の托鉢僧を詠んでみた。3)は障子で見えない山鳩の夫婦を声で表現した積り。一部手直しはあったが、講師は受講生の句のレベルが全体的に上がったと喜んでくれていた。来月の兼題(宿題)は「春風や」に決まった。帰宅して直ぐに3句を詠んだ。いずれも10年を迎える「東日本大震災」の記憶と共に春風を。

      宮沢遺跡

 ブログを開いて驚いた。2年前に書いた国府多賀城に関する記事を読んだ人が、多賀城は陸奥国府でも鎮守府でもなく、宮城県北部にある化女沼付近の宮沢遺跡が本当の国府であり。鎮守府だと言うのだ。それで慌てて「宮沢遺跡」なるものをネットで調べてみた。彼は平安時代の貞観津波で国府跡は失われたと言うのだが、歴史好きな方なのだろうが不審な点がたくさん出て来た。

 遺跡のある場所は内陸部で海からかなり遠い。それに遺跡は標高50m近い丘の上にあるので、津波で遺跡が損なわれることはない。かなり規模が大きな遺跡のようで国の「史跡」に指定されているが、せいぜい郡衙くらいの存在だろう。国府ともなれば都から大勢の役人が任命されて来るし、鎮守府ともなれば少なくとも数千から1万ほどの兵士が駐留し、そのための宿舎や設備が必要となる。またそのための官道も整備する必要がある。そして同遺跡の発掘調査はまだ日も浅く、しかも3年間しか行われていない。

          
                

 それに反して多賀城の方は発掘調査が行われてから60年近く経ち、東北大学と多賀城跡調査研究所が今でも調査を続けていて、その報告書や関係資料が数多く出版されている。さらに多賀城の建立と修復に就いて記した石碑が現存する。国内でも第一級の金石資料で、しかも形式は古代中国の基準に合致した古碑なのだ。城が2度建て替えられたことも、城下には広い大通りが交錯していたこと、附属寺院(観音寺)が置かれ、鎮護のための「多賀社」や「総社の宮」が付近にある。

 また城下と海をつなぐため。付近の河川から運河が掘削されていた。塩釜には陸奥国一之宮の塩竃神社があり、歌枕の「末の松山」、「沖の石」。「野田の玉川」などがあり、西行や芭蕉が訪れている。また中世には仙台市岩切で「市」が開かれ、古代の官道から変わった「奥州街道」も通っていた。また多賀城より以前の郡山遺跡(仙台市)と多賀城の間には、陸奥国分寺と国分尼寺が置かれている。

 第一ウィキペディアで調べたら宮沢遺跡と多賀城とでは記述の分量も精度も、参照文献の数も全く異なり勝負にならない。もし投稿子の意見が正しいのであれば、日本史は全て書き換えられないと辻褄が合わなくなる。多賀城付近に県の調査研究所や「東北歴史博物館」がある理由も意味も不明になるはずだ。

 多賀城付近では地下の構造も含めて発掘調査済みで、貞観地震でも埋まったし、先の「東日本大震災」でも多賀城駅前が浸水した。古代から海に近い場所にあったのは、海路で関東地方から人や物資が運ばれたせいだ。多賀城は古代から海路、陸路共に交通の要所で、南北朝時代も周辺で戦いがあったほど重要な地だった。それに対して宮沢遺跡の役割と機能はほとんど解明されてはいないはずだ。

    暗殺直前のJFK夫妻

 JFケネディーが1963年に暗殺されてから秘匿されていた機密文書がトランプ前大統領の要求で、解除処分となった。1991年には映画「JFK」が上映されているが、ある映画評論家によれば、今回の機密指定解除で新たな事実が浮かび上がって来たとか。映画のストーリーとは異なり、当時のキューバやソ連政府との関りが明らかになった由。つまりは共産主義諸国との戦いだったと言う訳だ。

 そしてその評論家は言う、先日大統領選挙に敗れてさらに弾劾を受けたトランプ大統領も、JFKが置かれた政治状況と大変よく似ていたと。つまり共産主義者にとってトランプ氏は邪魔な存在だったわけだ。それを陰謀と呼ぶかどうかはさて置き、あの極めて大掛かりな選挙不正や、マスコミの報道ぶりを見ると、「陰謀説」を信じたくもなるのが人情ではないか。私にはそう思えて仕方がないのだが。





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Last updated  2021.02.19 17:47:43
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