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マックス爺のエッセイ風日記

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2021.12.10
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~疲れながらも~

  

 疲れて頭痛がしながらも、なお沖縄の話を書こうとしている。最初は前回の補足をまず。縄文時代は新石器時代とも言われるが、「新」があれば当然「旧石器時代」もある。縄文は約1万5千年前から3千年前くらいなので、旧石器時代は1万5千年以上も前になる。日本列島が大陸とつながっていた時代があり、動物も人類も歩いて来れた。

    

 ただし、南西諸島は大陸から岬のように突き出ており、九州との間に海峡があった。北海道も樺太と繋がっていたが、津軽海峡はあった。縄文人が日本の先住民族であることは何度も書いた。彼らの中には南から日本列島にやって来たグループと、樺太を経て北からやって来たグループがいた。元々は南方系の古い民族の子孫だろう。

          

 弥生人が稲を携えて北九州へやって来たことは書いた。Natureに載った論文は朝鮮半島経由だったが、揚子江南部から直接北九州や山口に来たとの説もある。ところで弥生人の顏が縄文人に比べて扁平なのは、「北方的な適応」の結果。眉毛や髭が薄いのは凍傷にならないため。鼻が低いのは冷たい空気を広い副鼻腔で暖めてから肺に送るため。胴長なのは消化に時間を要し、腸が長くなったため。

                       

 寒冷な北海道が稲作に適さなかったため、縄文人やツングース系の民族が弥生人との混血が進まなかった。一方沖縄は隆起石灰岩地質で稲作には向いてなかった。それに雨が直ぐに地下に沁み込み、短い川は直ぐ海に注ぐ。そのため北海道同様に、縄文時代(沖縄では貝塚時代)が長く続き、弥生人との混血がなかなか進まなかった。そして容貌にも縄文人の特徴が色濃く残った。

  (1)

 このシリーズを書きながら、自分が持ってる沖縄関係の本を何冊か探した。「沖縄の城ものがたり」は沖縄の出版社が1988年に出したもの。価格は2800円。多分私が沖縄から転勤する時に買ったのだろう。当時としてはかなり高価。文章が平明の上図が多くて理解しやす。今読んでもなかなか面白く、大いに役立った。

     (2) 

 「海上の道」~沖縄の歴史と文化~は東京国立博物館が、沖縄の本土復帰20周年を記念して開催した特別展の目録で1992年の刊行。ほとんどが図版で、解説は少なくしかも専門的。8番目の職場に転勤した際、たまたま私の机の上にあったもの。今ではとても貴重な資料で、次回以降にこの図録から借りた写真を載せようと思っている。

              (3)  

 「世代わりにみる沖縄の歴史」は2007年に(1)と同じ出版社から刊行されている。価格は1500円で、著者は沖縄の教育関係者で、歴史の専門家ではない。恐らくは沖縄に観光か走りに行った際に買ったと思われる。「沖縄7度の世代わり」として〇原始沖縄世 〇古代沖縄世 〇薩摩世(島津藩の統治下にあった時代) 〇大和世(日本の沖縄県となった明治以降) 〇戦世(戦時中) 〇アメリカ世(アメリカ軍政府時代) 〇沖縄・大和世(琉球民政府時代及び日本復帰以降)のように区分している。

 それが恐らくは沖縄県民の偽らざる歴史観なのだろう。多分今後読むことはないだろうが、これも沖縄と私の縁として傍に残しておこう。





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Last updated  2021.12.10 08:08:41
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