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マックス爺のエッセイ風日記

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2022.03.26
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~私がウクライナ侵攻で感じたこと~

 

 3月24日の朝わたしはいつも通り目覚め、晴れて78歳の誕生日を迎えた。もち米入りのご飯。海藻のフノリと豆腐の味噌汁。塩サケの小片、コロッケ半分、イカのリング揚げ3個。ワカメと小松菜のお浸し、野菜のピクルスが朝食。それを食べて眼科へ向かった。その日は「視野検査」の予約が入っていた。眼圧も見える視野の範囲もいつも通りの老化現象。薬局で目薬2本をもらって帰宅。

                  

 眼科からの帰路、近所のスーパーに寄って「助六寿司」とラーメンを買った。昼食は買ったばかりの太巻き寿司と稲荷ずし。そして果物とヨーグルト。夜は大盛のミートソースを作った。太めのスパゲティを茹でるのに手間取った。ミートソースは予め購入していた「缶詰」を鍋に移して弱火で温めるだけ。薄い1杯の焼酎で誕生日を祝った。夜音がするので外へ出ると雷鳴だった。春先の星が寒そうに瞬いていた。

  

 今回の戦争で死んだ1人の女性ジャーナリストのことを知った。まだ30代半ばの美人で祖国はロシア。プーチンの独裁体制に抵抗してバルト三国に逃れ、祖国のウクライナ侵攻を知ってキエフに取材に来ていたようだ。それが潜んでいた兵士に狙撃されての死亡。彼女を撃ったのはなんと母国ロシアの兵士だった。何と言う皮肉な巡り合わせだろう。言論統制を嫌って脱出した母国の兵に命を絶たれるとは。

                       

 2008年。ロシアが当時のグルジア(現ジョージア)に侵攻した際、わざわざポーランドから駆け付けたドウダ大統領(当時)が語った言葉がある。「今日のグルジアは明日のウクライナ、明後日のバルト三国になる。その次はポーランドだ」と。それが現実のものになった。ロシアはその後ウクライナ東部2州の一部を勝手に独立させ、クリミア半島も奪った。プーチンの野望は留まるところを知らない。

   

 これはバルト海付近の地図。ドウダ元大統領が懸念した「バルト三国」がエストニア、ラトビア、リトアニア。いずれも旧ソ連邦の一部で、リトアニアでは第二次世界大戦中日本の大使館員が杉原千畝がナチスドイツの追及から逃れる大勢のユダヤ人に独断でパスポートを発行して救ったことで有名だ。その南にある赤い色の地区がロシアのカリーニングラード州の飛び地。NATOは今この地を心配している。

                  

 ロシアの軍事基地が2か所あり、ここからウクライナへミサイルを発射することを恐れ、ベラルーシがプーチンとの軍事同盟でポーランドとリトアニアの国境に攻め入ることを恐れているのだ。もしそこを塞がれるとバルト三国が孤立するからだ。今回のウクライナ侵攻を目の当たりにしたバルト海沿岸の国家がこぞってNATOの傘下に入ることを希望したのも頷ける。NATO軍をより東へと接近させたのはプーチンの愚行の結果だ。

     

 3月24日。ロシアとウクライナがそれぞれの捕虜10人ずつを交換で引き渡した。侵攻後1か月で初めての出来事。またこれとは別にウクライナ側は黒海で沈没した船から救出したロシアの民間船員10名を、ロシアは黒海の小島で孤立した兵士を救助しようとして拘束されたウクライナの乗組員19人を互いに引き渡したようだ。今は膠着状態だが、この戦争はプーチンが満足しない限り終わらない。

                       

 これはあるTV番組から借用した画像でNATO軍高官の観方。ロシア軍の将軍20名中5名が戦死している。ロシア軍兵士の大量の遺体はクリミア半島で火葬されたようだ。遺体がそのままの形で帰国すれば、プーチンの嘘がばれてしまうためだ。それで火葬したまま置き去りにした。一方ウクライナ側の市民の遺体も埋葬出来ず、道端に掘った穴に仮埋葬している由。<続く>





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Last updated  2022.03.26 00:00:10
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