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「台風は大変じゃったな」
「はい」 「わしは昼過ぎにとっとと逃げ出したが、息子は東京駅前から帰るのに6時間掛かった」 「大変でした。普段なら1時間くらいですものねえ……台風の被害もすごいようで」 「被害と言えば、東京電力が補償する書類が分かりにくいと避難囂々、改訂された物が発行された」 「今度は分かりやすいでしょうね」 「声明書が156ページ、途中を読み飛ばすと失敗するようになっている。実際の提出書類が60ページと、実にコンパクトになった」 「随分詰めましたねえ」 「例えばホテルに避難した場合、避難が必要だったという証明、ホテルに避難したという証明、ホテルの領収書の3つを揃えるだけでいい」 「ううん……コンパクトになった……って……東電が胸を張るのはこのレベルです」 「本当につぶした方がいいのになあ……人員削減というので、一番下の人達を切ると同時に発表したが、上を切らないと意味がないじゃろう」 「愚痴も出ますね」 「ということで、本日はこれぎり」 「また……ほら、上、上……タイトルが違うでしょ」 「あら……」 「深川散歩参りましょう」 「さあ、地図に見える橋が前回紹介した萬年橋」 「左の大きな川が隅田川です」 「橋を渡って地図の丸1へ参りました」 「これは昨年も来ております」 「昔ここに芭蕉庵があった。今は芭蕉稲荷神社になっている」 「小さな祠です」 「中にある碑。左は芭蕉庵跡、右は芭蕉記念館落成記念の碑じゃ。この土地では狭いので、別に記念館を作ったのじゃな」 「なるほど」 「こちらも。左は芭蕉翁生誕百五十年記念碑。右は」 ふる池や蛙飛こむ水の音 「今回の散歩では何度も出てきた句ですね」 「芭蕉庵じゃが、後に武家屋敷になったが、幕末から明治の時期に全部焼けてしまった」 「へえ」 「芭蕉庵の位置も分からなくなっていたのだが、大正六年の大津波で芭蕉が愛していたという石の蛙が見つかって、ここに芭蕉稲荷を祀った」 「よく見つかりましたね」 「戦争で荒廃したため、戦後十年、1955(昭和30)年になってから復旧したのじゃ」 「これも大変な歴史があるのです」 「こちらが奥の細道三百周年の記念碑と、石の蛙」 「これが津波の跡発見された……って訳はありませんね」 「もちろん、これはその後に寄進されたものじゃ」 「これも神社ですか」 「これはすぐ奥の向かい、地図丸2にある正木稲荷」 「こちらも古いのですか」 「由来は不明。為永春水の「梅暦」に、1834(天保5)年の初午の様子が挿絵に描かれているので、その頃には土地を代表する稲荷だったということが分かる。お蕎麦を断って腫れ物が治るよう祈願し、治ると蕎麦を献上したそうじゃ」 「見所は色々ありますね」 「さあ、こちらが芭蕉史跡公園」 「いい雰囲気の入り口ですね」 「上がると鎮座ましましているのが松尾芭蕉像」 「こんな所で」 「ここから前回紹介した清洲橋が遠望出来る」 「なるほど」 「反対方向を見ればスカイツリー、そして川には遊覧船が次々現れる。これも面白い形の……」 「ううん、結局どうでもいい話題でおしまい」 「次回は芭蕉記念館まで歩こう」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.09.22 05:49:02
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