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「今回は寄席に行くついでに、神田駅から日本橋界隈を回るという……」 「散歩ってほどにもならないね」 「神田駅北口の前を通っているのが中央通り」 「というと……」 「そう。これはスカイツリーの前を通って浅草通りになる。昔ばなし柳塚や6代目桂文治の碑や演劇・芸術関係の碑が沢山ある能瀬の妙見様、落語塚のある本法寺、落語発祥の地の碑がある下谷神社……上野駅で南に折れると、中央通りとなって、上野鈴本演芸場、上野広小路亭、奥には落語協会事務所の黒門邸、そのまま秋葉原を通ってこの神田駅ガード下につながる」 「はい、落語関係ばかりです……今日のゴールもお江戸日本橋亭」 「そうじゃな。わしゃここまでを落語街道と呼んでいる。その先は日本橋を渡って、銀座通りとなり、銀座1丁目から8丁目までの交差点信号が全部見られる。スカイツリーからここまで全部歩くと10キロちょっと」 「はい、いい散歩道ですね」 「その先はどうでもいいけど、続けると、新橋駅から浜松町、大門駅は吉原ではなく芝大門、増上寺でございます。芝から西に折れて三田、田町の駅前が落語芝浜の舞台。高輪大城戸、泉岳寺、品川駅……と続くのじゃ」 「さあ、本日は神田北口……地下道に行くと遠くなるから、改札からすぐ外に出ること」 「はい、直線距離ではここから日本橋まで900mしかありません。目的地の寄席まではもっと近いので……どんな散歩になるやら」 「南へ歩いて最初の交差点が今川橋。その手前にあるのが今川橋由来碑」 「やっと写真の説明ですね」 「神田堀にあった橋なのじゃが、この辺りの名主が今川氏で、その尽力で橋が架かったためその名で呼ばれる。江戸から中山道に通じるのがこの橋だったのじゃ。戦後1950年に堀が埋め立てられて姿を消した」 「はい、珍しくまともな説明」 「東側の高速にそった道、江戸橋通りに回ると、川の跡地にこんな公園が出来ている。神田堀は龍閑川ともいっていたのじゃ」 「名前が違うのはなぜです」 「色々呼び名があったのじゃよ……それは次の写真でご紹介」 「江戸橋通りとは逆、西に向かうと、神田南口を抜けて龍閑橋交差点に出る。ここに橋の名残が残されている」 「さっき言った川と同じ名ですね」 「神田と日本橋の境がこの橋だった。江戸幕府に仕える井上龍閑の家があったからその名があるという。実はそこから橋の名が付き、川もその名で呼んだというのが正解」 「ややこしいね」 「中央通りと江戸橋通りの間にあるのが稲田稲荷神社。今川橋の通りから南へ細道で三本目」 「これはまた……ビルに食い込んでいますね」 「これが江戸全てを守る神社だったのじゃ」 「へえ」 「さあ、こうして室町三丁目の交差点までやって来た」 「この下に新日本橋駅があり、三越前駅とは地下道でつながっております」 「ここに石町(こくちょう)の時の鐘があった」 「時の鐘ですか」 「鐘は現在小伝馬町に移されている」 「はい。こちらがその実物です」 「室町三丁目に戻るが、ここに住んでいたのが与謝蕪村。石町の鐘に因む夜半の鐘から夜半亭を名乗った……二代目じゃ」 「俳句所縁の地ですね」 「長崎屋がこの辺りにあった。オランダ商館長の宿だったが、シーボルトなどの医者が来たので、青木昆陽、杉田玄白、平賀源内らがここで知識を得ている」 「この交差点、三越の方にあったのが十軒店(じっけんだな)。十軒の店があったのじゃが、特にお節句の人形といえばここ。雛人形といえばここだったのじゃ」 「昔もにぎわった場所なんですね」 「さて、寄席はここから脇に入ったところじゃが、もう少し南、日本橋まで行こう」 「はい、それはまた次回」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.01.30 05:49:18
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