カテゴリ:カテゴリ未分類
「さあ、深川のぢい散歩。深川江戸資料館を出て、清澄庭園へ向かう」 「行きましょう」 「大通りへ出ればそこが庭園の脇なのじゃが……」 「また、素直に行かないんでしょう」 「資料館からまっすぐ南、最初の角を曲がった所にあるのが紀伊国屋文左衛門の墓」 「なぜここにあるんです」 「清澄庭園が、彼の屋敷の跡だったという説もある」 「へえ」 「通りへ出て南へ進むと、橋のたもとにあるのが、こちら」 「花ですか」 「その手前がメインじゃ」 「何かありますね」 「ここが江戸時代の作家、滝沢馬琴が生まれた場所。清澄庭園は松平家の屋敷となり、馬琴はその下級武士の五男」 「このオブジェは」 「南総里見八犬伝を全巻そろえるとこうなる」 「へえ……長編小説だったんですねえ」 「道を渡って、橋も渡って……向こうにあるのが採荼庵(さいとあん)跡」 「これも芭蕉さんですか」 「奥の細道の冒頭で杉山杉風の別墅……別邸に移ったとある。その場所じゃ」 「へえ」 「 草の戸も住み替る世ぞ雛の家 という句があるが、実際には芭蕉庵を詠んだものじゃが、奥の細道の中ではこの採荼庵を指すというのがわしの説。世間一般では認めていない」 「なぜです」 「実際には……と言ったじゃろう。奥の細道は嘘が混じっている、文学的虚構じゃな、そういう芸術作品として読まなければならないのに、国語の先生は事実と比べることしかできないのじゃ」 「そうなんだ」 「証拠の一つだけを紹介すると、杉風は、挨拶の句として、 花の陰我が草の戸や旅はじめ と詠んでいる。これは当然奥の細道の冒頭を意識したものじゃ」 「なるほど」 「ここから清澄庭園に行くのは、戻るよりも清澄公園を回る方がいい」 「参りましょう」 「江戸の火の見櫓を意識した時計台がある。昭和63年の改修の折、庭園のイメージに合わせて作られた」 「では、その庭園に参りましょう」 「はい、それはまた次回」 「あら、やっぱり」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.25 05:07:26
コメント(0) | コメントを書く |
|