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「ということで、第32回のぢい散歩は上野弥生の辺りへ参ります」
「弥生って……」 「東京大学のある所」 「ああ、昨年もお化け巡りで行きましたね」 「上野駅から歩いてもいいが、わしは日暮里から……」 「はい、もうご存知ですね……電車賃が80円も安いのです」 「日暮里から紅葉坂を登って天王寺まで来ると、その先が谷中墓地」 「はい、もう何度もご紹介しました」 「数人お参りしたい人もいるが、省略」 「著名人て、どのくらいいるんでしょう」 「80人くらい」 「へえ」 「さあ、谷中墓地を抜けると、そこにギャラリーがある」 「へえ」 「ぎゃらりー81、残念ながらこの日はお休み」 「はい、何度も通っている道ですから、また次回」 「隣が藍と絹のギャラリー」 「こちらは染め物ですか」 「まあ時間があれば……こういう作品も見ていて楽しいね」 「はい」 「こちらは妙雲寺」 「紫陽花ですね」 「吉祥天が祀られておる」 「って、そこに書いてあるよ」 「虫歯を治すのに御利益がある」 「へえ」 「一乗寺。江戸文化文政の頃の学者、太田錦城の墓が本堂に向かって右側にある」 「へえ」 「これから道沿いに、本光寺、先日改修工事を終えて鬼瓦が間近に見える上聖寺、妙情寺、信行寺、高さ9.5メートルの椎の木があり、横綱千代の富士像がある玉林寺、道路の向こう側には天眼禅寺……この境内には可愛いお坊様像がございます……とお寺を歩きますが、写真は省略します」 「もうお馴染みの物が多いですからね」 「こうして弥生坂まで参りました。向ヶ岡弥生町というのが古い地名で、元和の頃(1615~24)水戸のお屋敷(現東大農学部)、加賀前田家屋敷(現東大本校)などのお屋敷があった。明治2年に大学が出来、新しい坂道を造営したのじゃ」 「へえ」 「幕府の鉄砲練習場があって、鉄砲坂とも呼ばれた」 「どうして弥生っていうんです」 「水戸の徳川斉昭が、文政11(1828)年の3月に歌碑を建てたという。 名にしおふ春に向ふが岡なれば世にたぐひなき花の陰かな この歌に因んで弥生といったそうじゃ」 「へえ」 「さあ、こちらが弥生土器発掘の碑」 「あ、弥生式土器ってのもここの地名なんだ」 「そうじゃよ。この辺り一帯から発掘されたが、広い区域であったから、具体的には分からない部分も多くなった。元は浅野侯爵の土地じゃが、中を見学出来る」 「はい、また次の機会に訪れましょう」 「少し戻った所の奥にサトーハチロウが住んでいたが、その辺りからお化け階段を経て根津小学校まで、その辺りが土器発掘の現場らしいぞ」 「広いんですねえ」 「こちらが東大本校。赤門は裏側なのであと1キロくらい歩く」 「大変だ」 「さあ、こうして弥生美術館へ参りました」 「その報告は」 「また次回」 「やっぱりねえ」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.07.09 05:08:03
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