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「目黒の散歩もいよいよ大詰め」 「こちらは」 「海福寺じゃ」 「お参りしましょう」 「門は四脚(よつあし)門といって、本当の柱と附属の柱四本から成る。上落合にあったものを移設したそうじゃ」 「へえ」 「隠元禅師が開いたお寺で隠元さんの像もあるという。ご本尊は12世紀頃に京都で作った物を持ってきたらしいな」 「写真は」 「文化4(1807)年、永代橋が落ちで多数の死者が出た。50年目煮作られた供養塔」 「へえ」 「これも落語にある。 永代橋が落ちて、大家の多兵衛店に住む武兵衛が死んだので死体を取りに来るようにという連絡が来る。慌てた大家は、武兵衛が自分は死んだ気がしないと言うのを無理に連れて行って死体を引き取ろうとする。役人が気付いて、武兵衛の財布をすった泥棒が死んだのだと分かる。大家に叱られて、武兵衛が役人に助けてもらおうとするが、 『お前はどうしても大家の相手にはなれない。多兵衛に武兵衛はかなわない』 という落ちになる。 『粗忽長屋』と同じようだし、落ちが面白くないからほとんど演じられない」 「はい。圓生百席が貴重な資料となっております」 「こちらは1683年に作られた梵鐘で、中国の形式に和風のデザインを加えたという作品」 「なかなか」 「目黒川を渡る」 「桜の季節には話題になりました」 「名物の椎の木。歌川広重の『江戸名所百景』にも描かれている」 「へえ」 「さっき渡った太鼓橋。これも広重の絵でお馴染み。アーチ型の石橋は江戸の名物となるが、大正9年の豪雨で流され、昭和7年に架け直した。現在のものはもっと新しく、20年ほど前に架けられたもの」 「色々ありますねえ」 「目黒七福神の一つ、大黒様を祭った大円寺」 「はい、写真は」 「八百屋お七と吉三の碑」 「これも落語ですか」 「『お七』、『お七の十』という噺があるな。八百屋という小間物屋なのじゃが、娘のお七が火事で家を焼かれ、駒込の円林寺に預けられた。ここで吉三という寺小姓に恋をし、家に戻ると、もう一度会いたいというので放火して火あぶりの刑に処せられた」 「聞いたことがありますね」 「吉三は西運というなで諸国を行脚し、明王院に入ると、十里離れた浅草の観音まで夜に行って翌夜戻るということを一万日続けた」 「うへ」 「27年と5ヶ月で達成すると、夢にお七が現れて成仏できたと告げる。それでお七時増を作ったという」 「へえ」 「実はこれも伝説の一つで、吉三の正体は、本当は不明」 「へえ」 「因みに、明王院というのが、今の目黒雅叙園」 「大家さんの結婚式はここでやりました」 「道祖神」 「二人連れというのもよくありますね」 「石仏郡。明和9(1772)年の火事で供養のために作られたという五百羅漢。520体あるぞ」 「へえ」 「大圓寺が火元とされるのでこんな物も作られたのじゃろうなあ」 「へえ」 「実は西運の話が広まると、人気になってこの寺にお金が集まった。それで寺だけでなく、周辺まで恩恵をほどこしたという」 「はい」 「さて、西運が浅草まで参詣したというが、途中でいただいたお金などを医師に買えて目黒川に石橋を掛けたという」 「へえ」 「写真はお寺の前、雅叙園から駅に向かう坂じゃ。大海法師が大円寺を開くが、これは周辺にいる不良グループを一掃する目的があった。それが成功して寺の名前を徳川家からいただいたのじゃが、修行僧『行人(ぎょうじん)』が沢山いたのでこの坂を行人坂と呼ぶようになった。西運はこの坂にも敷石の道を作ったそうじゃ」 「ということで、駅まで歩いてゴール。 万歩計では15000歩、12.7キロと出ている。 使ったお金は木戸銭が600円、絵葉書などのお土産で1670円。お菓子と福豆は別で合計千円。昼食が580円。お賽銭が全部で60円」 「ということで、OK散歩目黒の巻、読み終わりと致します」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.13 06:49:14
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