テーマ:謎を解く(186)
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11:メッツェルの話
パガニーニ……はい、存じております。あの方は一度会ったら忘れられませんわ。 1805年でしたか、翌年だったかも知れません。バッチオッキ侯が素晴らしい演奏家がいるというので呼び寄せたのでございます。 宮廷に現れただけで、私うっとりしましたわ。こんな美しい殿方がいらっしゃるなんて……ねえ……演奏は素晴らしいものでした。信じられないような早い動き、重々しい重音が響くと思ったら、軽やかな笛のような音色……それ以上にあの美しいメロディ……私もボーっとして聞いていました……え……はい、そうですわね。その美しいお姿をボーっとして見ていたという方が正しいかも知れません。奥様も同じでした。うっとりとして御覧になっているのはすぐ分かりましたわ。 はい、その時私がお仕えしていたその奥様というのがエリーザ様でございます。ナポレオン皇帝陛下の妹君でございます。ボナパルト様は一八〇四年五月十八日、皇帝となられております。 妹君は三人、エリーザ様、パウリーヌ様、カロリーヌ様でございます。 エリーザ様はボナパルト様とはコルシカ島時代の戦友だったフェリーチェ・バッチオッキ侯爵と結婚されて、ここ、ルッカ周辺のピオンビーノ侯国を領地にされていました。ええ、三人の妹を皆イタリアに配したのです。パウリーヌ様はカミロ・ボルゲーゼ侯爵と結婚されてトリノを守り、一番下のカロリーヌ様はナポリの王に任命したジョアシャン・ミュラ様とご結婚なされています。このナポリでは重税によって王は大変な不人気になりましたが、ボナパルト様はいかにイタリアから搾取するか、そればかりを考えておいでだっうっとたのではないでしょうか。イタリアは古いしきたりが残っていたのですが、それが全部否定され、今度はこういう重圧で政治的自由への関心が高まり、民族意識を持つようになったのでしょう。イタリアを良くしたと、ボナパルト様をほめていいと思うのですが。 ここだけのお話、エリーザ様ははっきり言えば男癖がよろしくありません。イタリアの絶倫男を求めておいででした。パガニーニは主人の求めていた理想の男でした。昼間はヴァイオリンを愛でて美しい音楽を生み出し、夜になるとエリーザ様を愛でて美しい声を上げさせるのです。まあ、エリーザ様の回りの男はみんな、芸術よりもそちらの方が大切でしたのでね…… ご主人のバッチオッキ様はイタリアで評判の演奏家としてパガニーニを呼び寄せたようです。はい、その頃大変な人気で、貴族の方々が呼んで演奏をさせていたそうです。バッチオッキ様はそういう貴族の方から紹介されて、自分のヴァイオリンの先生としてパガニーニを呼び寄せたのでございます。 まあ、実際にはご主人よりも奥様の方がパガニーニの魅力に取りつかれておしまいになられたのです。だって、すごいんですもの……ヴァイオリンだけでなく、ベッドのテクニックといったら……あら、私何をしゃべっているのかしら…… ※ ※ ※ MS28~42 弦楽四重奏曲 原題は「大四重奏曲」。弦楽四重奏というが、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとギターという編成。それぞれの楽器が対等に扱われる部分を聞くと、力量のさる作曲家だったことが伺われる。それでもやはりヴァイオリンが主役になる部分が印象的。ヴァイオリンがギターに持ち替える部分もあるが、曲を止めずに持ち替えるのは不可能……それをパガニーニはやったのだろう。 15曲それぞれにMS番号が付いているが、古い本には弦楽四重奏曲は6曲だけと断言されている。1から3が作品4、4から6が作品5として出版された。生前出版されたのはここまでなので、6曲ということになったのだが、沢山作っていたのだ。ほとんどがアレグロ、メヌエット、アダージョ、ロンドという4楽章形式。フィナーレがポルカだったり、3楽章や5楽章のものがあったり、それぞれの個性もある。第14番の終楽章が「常動曲(ペルペゥエラ)」をそのまま転用している。1から6のほか、7番と14番が人気らしく、演奏会で取り上げられていた。私も昭和50年代に6曲しかないのに14番が演奏されている記録を見て不思議に思った経験を持つ。 レコードの時代には出ても売れずにすぐ廃盤となり、全く手に入らなかった。 パガニーニ弦楽四重奏団の演奏で所有。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.02.20 17:53:09
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