293449 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

J.BOYの日記 ~ A PLACE IN THE SUN ~

J.BOYの日記 ~ A PLACE IN THE SUN ~

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

superio☆彡city

superio☆彡city

Calendar

Rakuten Card

Freepage List

Headline News

2020.10.19
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
Go TO トラベル!! で、鹿児島に行ってきました。。

生きてる間に絶対に行かねばならない場所が有ります!

それが知覧特攻平和会館がそこでした。

他にも多数有りますが、靖国はもう2回も行きましたし

立地上、行き難い所もあります。



知覧は、優先順位の最も重要な場所でした。。



16日 金曜日。

午前に仕事をやっつけ、PM2:00にはPM3:00伊丹発の飛行機に

乗り込むために、全てをシャットアウトして鹿児島に旧友と向かいました。。


残念なことに、その日の午前中からクレームが2件も!!

飛行機を降りてもそれは続きました・・・・

ホテルに着くころには、ひと段落をし! 旧友と黒豚しゃぶしゃぶを

地域クーポンで鱈腹食べ、2件目でへべれけになるまで飲み尽くしましたビール日本酒


翌朝はAM8:30ホテル発。

レンタカーで1時間ほどの道のりを、二日酔いの五十路男は口数少なに

目的地に向かったのでした車




知覧とは。。

旧大日本帝国陸軍が連行国軍(米英など)の本土侵略の最期の砦となった

沖縄防衛の拠点となった本土最南端の航空基地で、旧陸軍特攻戦死者

千数十名の約40%強が知覧から飛び立った。。。現代の平和を築いた

その地であります。。


私たちミリタリー族(決して美化はしていません)は、特攻は旧帝国海軍の

神風特別攻撃隊!を、まず記憶の基端にするんですが、陸軍もたくさんの

特攻隊員が居たことを、改めて認識するに至りました。。


その大半は20歳前後で我が子と同じ歳の若者が、沖縄までの600k

約2時間の飛行後、散っていったのです。。

最も若い特攻隊員は17歳。高校生です(現在では)。

その若い英霊の遺書の数々が展示されておりました。。

その直筆展示を細かく読んでいき。。

視聴覚室で行われる講話や映画の度に、そこに出向き、彼らが乗って逝った

戦闘機の細部までを首を長くし、1mmでも戦闘機に近づき見させていただきました。


ほんの事務椅子(ひじ掛け幅)程度の密室で、数ある計器を観ながら操縦舵を握り

転回ペダルを踏み、1秒ごとに迫る”死”に向かっていく少年兵や下士官。。


我が子の歳では、最早 編隊長の年齢でした。(訓練経験による)





なでしこ隊

その特攻隊員のお世話(特攻までの数日、炊事や洗濯をしてくれる女高生たち)を

する乙女たちの生々しい証言も、繰り返しビデオ放映されていました。。


昨夜まで、冗談を言いながら過ごした隊員たちが250kの爆弾を飛行機に

装着し、滑走路を走る時に、足が震えて止まらなかったと言われておられました。


なでしこ隊は、知覧飛行場の片隅から特攻隊員を見送るのですが、その顔は

全て飛行機に向けられていません。。(その瞬間の写真)

2時間後に250k爆弾と共に突入する若者の顔など見れないそうです。。



無線士

太平洋戦争時、日本の無線技術は最悪なレベルで全く機能していませんでした。

代わりにモールス信号が通信手段でした。


特攻隊員は、突入を開始すると

トン・トン・トン から

ツゥー――――――――――― と長押しをします。


その音が消えた時が・・・


基地の通信士は、何百人ものその音を聞く訳で。。。



一生、その音に悩まされ生き続けなければならない後世。。

どんな半生を過ごされたのでしょう?





大して大きい会館では有りませんが約4時間強 気が付けば経っていました。





戦争などと言うものは、悪 そのものであり、一点の曇りもなく肯定される

事実であってはなりませんが、軍事教育の下で 国に命を捧げてきたたくさんの

先人が有り、その方々がその直前まで何を思い、どう考えていたかを正確に

知ることが出来る資料館でした。。




いま、私たちは平和で不自由のない世に生きています。

政治が悪い

景気が悪い

会社が悪い

上司が悪い



何も通用しない時代に生きた人たちが、ガラス越しに無言で伝えていることを

垣間見ることが出来る場所です。。。








ひとは何のために生きているのか

何のために生かされているのか



平和ボケしてる自分にとっては、 ゼロ(0)回答でしか有り得ない。


17歳で祖国の為

私が逝くことで祖国が護れるからと散った彼らは、本当に今の日本を

良し と見ていてくれるのだろうか?



なぜ、彼らはそこまで純粋に祖国の為に尽くすことが出来たのだろうか??






私たちが、今後 何をして行くべきなのだろうか?






分からないけど、窮地に陥った時には思い出すだろう、と思う。



あの遺影

あの遺書を





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.10.19 22:10:42
コメント(8) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.