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カテゴリ:Music
80年代の日本のロックといったら
RCかシナロケ。 中学の頃、地元のホールに来るとなれば 必ず見に行った。 初めて見に行ったのは中1の夏頃。 小学校卒業したばかりというのに、 夜間徘徊してたのねぇ。わー不良だわ。 当時一緒にライブ行ったのは、女子バンド仲間で、 今も時々会う子育て仲間の保健婦の友人。 彼女もきっとショックだろうと思う。 当時の洋楽と言ったら、 イギリスだったらパンク、ニューウェーブ、ニューロマ(恥) アメリカだったらNYパンク、パワーポップの頃か。 70~80年代ストーンズはそれほど聞いていなかったので、 リアルタイムにMTVでかかっていた音楽と RCとはちょっと違和感があった。 RCの演奏はオールドスタイルのロケンローでキチンとしていて チャボは見かけはキースでもデヘデヘせず本当にキチンと演奏していて パンクとは程遠いものだった。 なのにパンクな髪型にメイクの清志郎。 英米のロックとは違和感あったわ。 完全にパンクをパクったエンターテイメントだった。 当時は大御所ストーンズだってアンダーカヴァーとか ちょっとディスコ調(また恥)に走ってた頃だ。 シナロケはパンク、ニューウェーブの根っこにある 60年代のキンクスとかヤードバースとかの影響があったから 受け入れやすかった、というか大好きだったけど…。 (やっぱまこっちゃん最高!) 当時の私にはそんなこんなでなんだか違和感を感じつつも RCが来れば必ず見に行ったのだ。 「よおこそ」でオープニング 「トランジスタ・ラジオ」 「スローバラード」 「僕の好きな先生」 「キモチE」(Eキモチじゃありません←この人も亡くなってた) などなど。懐かしいなあ。 アンコールは必ず 「雨上がりの夜空に」 だったような気がする。 THE RCサクセション ゴールデン☆ベスト 【 レコード・LP盤 】(中古) RCサクセション/ラプソディー その後、90年代ごろ、私も上京して、 たまたまロッキン・オンの読者プレゼントで当たった イアン・デューリーのライブを見に行ったら、 (オイオイ言ってるコアな男性ファンばかりでびっくりした・汗) イアン・デューリー/4000週間のご無沙汰でした(紙ジャケット仕様) 清志郎がタイマーズとして覆面してゲスト参加していて それ自体ゲリラ的サプライズだった。 久々に清志郎を見たときは、 中学生の頃の自分に帰ったようで懐かしかった。 が、そこには、中学時代に見たエンターティナーとしての清志郎ではなく、 学生運動回帰主義というか、尖がった方向へ 歳をとればとるほどよりシリアスに向かっていく清志郎の姿があった。 ザ・タイマーズ 今もあの世で尖っているかも どっかの山師が 俺が死んでるって言ったってさ (「あきれてものも言えない」より) という歌詞もあったし… まだ若い頃に肝臓(だったっけ?)を悪くしてから 常に生死と向き合っていたのかもしれないなあ。 ああ、私も確実に歳をとっているのよね。 こういう訃報を聞くと、そう思ってしまう。 ありきたりな言葉ですが、 ご冥福をお祈りします…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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