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カテゴリ:ガーデニング
私の家に来てくれているガーデナーM君は
名ガーデナーである。 私は彼の植物に対する造詣の深さと愛情を尊敬し「ゴッドハンド」という名づけている。 彼の腕は大きく、あったかく、あたかも植物の命を育む使命を担っているかのように見える。 彼の手にかかるとどんなに荒れ果てた庭でも 再生し、緑なす庭園に作り変えることができる。(っていうのは言い過ぎ?M君?) わたしは「エデンの園」風ガーデンにしたいのだ。 天国にいるような気分になれる、夢のある、瞑想もできる そして、(バーベキューも出来る、お茶もゆっくり飲める・・・・・・庭・・・・ステキ・・・・・・) 聖書の中に登場するバラ・ユリ・ハーブ類の数々を植えたい。 それは彼とも協議の上で決定事項です。 「エデンの園風ガーデンで行きましょうよ!」 「クワを持つ手を休め、空を見上げると真昼の太陽は さんさんと農園一体を照らし、私たちは今年も耕作できた喜びを神に感謝し、首に巻いた手巾で額の汗をぬぐった」 などという悠長なことは言っていられない。 固い大地を掘り起こすと、汗はだらだらと流れ、 足腰が痛くなって、相当な重労働であることは確かだ。 初夏の太陽は容赦なく、頭上を熱し続ける。 「ガーデニングは自然にヒートアップした心をグラウンディングさせてくれます。土に触るという行為は大地への帰着を促し、精神を落ち着かせてくれる作業です」 と「ガーデニングの効用」を書くとしたら私はこう書くだろう。 しかし、土は優しく穏やかなものであるばかりではない。 固く、石ころだらけの不毛な大地もある。(うちの庭も) だから耕す。 私の月はおうし座。 天の鋤き道を耕す牛がその象徴。 私は人間耕運機だ。 すっごい疲れる、でも、この充実感は何なんだろう。 久しぶりに心がほどけていくのを感じる。 中世の修道院の庭は、薬草、野菜の栽培をしていた。 しかし、 庭をめぐり、瞑想に入り、神との対話を果たす役割もあったのだ。この農作業を通して。 自然に神の存在を感じる空間。修道院の庭。エデンの園。 M君は最後に植物の苗を植え、両手を組み、深々と神に祈った。私も同じように神に祈った。 「植物たちが命を育みますように、アーメン」 植物のベッドとしてふっくらと耕し終わった庭。 アッ、タウちゃん!! こんもりとした土の上で、・・・をしないで! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.04.14 10:26:12
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