第121話 障害児にまつわる表記について
ここのところ障害児についてふれることが多いので、ここで一度、障害児に関係する概念の使われ方について整理しておきたいと思います。なお先に述べておきますが、私はここでこの呼び方が正しいといった主張をするつもりはありません。障害児にまつわる様々な表記がされることに対してあくまでもその状況に対する解説を試みようとしていることをご理解の上、ご覧いただければと思います。 「障害児」という使われ方はこれまで一番一般的に使われてきた使い方であるけれども、実はこうした表記をすることに批判的な方たちも多く出てきました。それによって自治体の部課の表記などにおいても例えば「障害者福祉課」から「障がい者福祉課」や「障碍者福祉課」などに名称変更することがあります。そうした批判的な方たちの意見とは、「障害児」とは「差し障りがある害をもつ子ども」という意味なので「害」という漢字を使ってほしくないというのです。ではそもそもなぜこうした「障害」という表記が生まれたのでしょうか。話は戦後間もなくに遡ります。当時は傷痍軍人など身体の不自由な方たちに対する福祉政策を始めるにあたり、そうした方たちを総称するにあたり「障碍」という字が当てられることになりました。しかし当時「碍」という漢字は、1946年の当用漢字の内閣告示にはなく、その4年後の1950年の身体障害者福祉法の制定に当たって「碍」の代わりに当用漢字である「害」が当てられ、それが普及していったのです。そして、1981年の当用漢字が見直され常用漢字に改定された際にも「碍」の字が見直されることはなく、現在に至っているのです。 そうした「障害」という表記をやめてほしいという意見を取り入れた表記として「障がい児」といった「害」の部分を平仮名で表記するような表現が生まれました。しかしそれにもまた批判的な方たちがいました。というのも単に「害」の部分を「がい」と平仮名表記しただけでその意味は変わらないのではないかという主張です。またあるいは、自治体などの行政においては「碍」という漢字がまだ常用漢字になっていないため公的には使用できない漢字であるのです。よって仕方なく「障がい」という表記を用いているところもあるのです。 では「障碍児」という表記はどういった意味があるのでしょうか。「障」とは「意志が通らない」「妨げられている」という意味があり、「碍」とは大きな岩を前に人が思案し悩んでいる様を示す「礒」という字の略字で「自分の意志が通じない困った状態といった意味があります。すなわち二つの字をあわせて、困難に直面した状態を表す意味となるとされています。よって本当は「障碍児」と表記されるのが正しいと言われています。 また英語での表記にも様々なものがあります。通常「障害児」を英訳すると「handicapped children」となりますが、「disabled children」とか「challenged children」などと言うこともあります。handicapped はどちらかというと身体に障害を持つ障害者に対する概念なのですが、disabledになると知的障害や精神障害も含めたもう少し広い概念として使用されます。しかし障害者はお世話を受ける側ではなく自分でできることを自ら主体的に行う存在であるのだという意味を込めてchallengedという言葉が使われることもあります。しかし、障害者自身からも「別にチャレンジしているわけではない」との意見もあり、challengedという概念はまだ広く一般的には普及していないのが実状であります。そのほかにも精神障害児をdisturbed childとしたりmental disorderとすることもあります。いずれ必要あれば、この英語表記についても詳しくご説明させていただきますので、ご興味のある方はご質問ください。 なお私はこのブログにおいて「障害児」という表記を用います。その理由はもっとも一般的に普及しており、誰にも意味が通じる表記であるからです。「障碍児」と表記しても一部の福祉関係者以外ほとんど通じませんし、「障がい児」と平仮名で表記する方法もいちいち説明が必要になるほど、まだそれが普及しているとはいえません。いずれその普及が進めば、ここでの表記も変えていきたいと思いますが、今のところはもっとも多くの人に通じる表記として「障害児」という表記を用いることとしました。世の中には「障害」という概念だけでなく、悲しい運命をたどった末に普及定着してしまった言葉はたくさんあります。あるいは全くの勘違いが定着しそれが公的に認められるケースもあります(一所懸命/一生懸命など)。そうした言葉を用いるに当たり、私は今の普及具合や社会的認知の度合いを基準にして用いていきたいと思います。