カテゴリ:その他つれづれ
私、初めて告白しますがいじめられっこでした。
小中学生の頃は、 そりゃもう凄いイジメに遭ったもんですよ。 金銭のたかりは全く無かったのが 唯一の救いかもしれません。 先生も見てみぬフリ、か、かばってくれた 恩師みたいな先生は私が卒業後に 風のうわさに子ども達から正義感が 強過ぎると言われ嫌われて退職したようです。。。 母に相談しようと話しかけてみても 自分をガードするためか 途中で自分の子ども時代の話にすり替えられて まったく聞く耳持ってもらえないし。 中学2年の一番大変だった時期には 相手を刺し違えてやろうか、 それとも自分を。。。とか。 それでも私を支えたのは聖書の言葉。 “すべてのことには季節があり、そして天(あめ)が下のすべてのわざには時がある" この文章は今ネットで調べました。すみません(^^; 言葉のこころは覚えてましたが言葉が分からなかったので~。。。。 それと ”神様は乗り越えられない試練は与えない” という超有名な言葉。 何事にも天の決めた時があると信じること。 この試練は神様の期待だろうと信じること。 ヤケになって投げてしまうのは簡単。 でもその先には深い後悔と負の連鎖が。 一度そこに入ると戻ってくることは ますます困難になってきます。 その誘惑に耐えて乗り越えること。 一度そのやり方を会得すれば 少しずつ少しずつ大きな試練にも 耐えられる力がついてきます。 負の連鎖にはまりかけても 自分で気づいて、自分で戻る決意をすれば 必ず助けがあらわられると。 私が立ち止まったきっかけは 「いつか状況は変わるだろう」と時にすべてを任せて ある意味諦めて 「いつか乗り越えておとなになったら 世界中を旅して旅先の美味しいものを食べ尽くすぞ~」 なんて思うと急に元気が出てきて、冷静になれたかも。 それからは状況を変えるために何をすれば良いかと 自分なりに思いついたのが、 得意だった勉強をひたすら頑張って、 地元から離れた学校へ行って 新しい人間関係の中でもう一度やり直すこと。 「勉強が得意」って普通は嫌がられるし 自分でもテストの点がちょっと良いだけで 「ガリ勉」と呼ばれる事がコンプレックスでした。 もし「そんな贅沢な」と思われるなら想像してみて下さい。 学校ではイジメ、家でも理解されない状況で 必死になって勉強して良い点を取れば 今度はそれがますます周囲からの孤立に繋がる状況を。 それでも開き直って「勉強が好きで何が悪い!」と 考え方を180度変えてみたのです。 今思うと「勉強」というより「学ぶこと」だったかな。。。 自分を変えることは難しいけど 自分が周りを変えることよりは可能なはず。 自分が変わると周りも不思議と自然と変わるから。 そしてここぞと思える学校にめでたく合格し、 周りもみんな勉強が好きで前向きな人達ばかりで 幸せな3年間を過ごした、というわけです。 これで終わりでは無かったけどあの3年間はご褒美だったな~~♪ 私は自分らしくあるということが 「学ぶこと」だったけど 「得意なことは無い」という人はいないです。 だから自分を見失いそうになってるなら 足を止めて深呼吸して考えて。 よ~く、深~く考えて自分を取り戻して。 イジメの傷に悩む人へ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月13日 02時33分45秒
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