テーマ:映画館で観た映画(8561)
カテゴリ:日本映画
男を幸福にする女も、
男を不幸に追い落とす女も 一人の「女」の中にある。 吉祥天女。 1983年から1985年に 吉田秋生によって世に出た名作である。 漫画としての魅力だけでなく、 作品が持つテーマから 時代を超えても色あせない、 唯一無二の作品だと言えるだろう。 2007年、 映画化された吉祥天女は、 昭和45年の金沢を舞台にしている。 漫画というよりは、 小説の映画化のように、 足に地がついた設定がされていた。 たくさんの少女や佇まいも 柔らかく穏やかな風情を見せる。 約30年後の少女たちよりもずっと、 彼女たちは内なる女をしっかりと抱えている、 そんな風に、見えた。 叶 小夜子。 内なる女性を抱えた少女たちの前に降り立った天女。 麻井由以子が彼女に抱いた憧れは、 歴史の中で女性が歩んできた運命への反論。 天女神社で同級生の男どもに襲われた時、 小夜子は何人もの男を見事に薙ぎ倒した。 力の強い男に囲まれたら、 女性に自由はない、為すがまま。 女の根底にはどこか、 力に屈服する心が潜んでいる。 だからこそ由以子は、 小夜子の強さに強い憧れを抱いていた。 だが天女の羽衣に触れた男には祟りがあるという。 天女神社をはじめ、この辺りの土地の地主である叶家。 小夜子は遠野建設の息子、暁と いわば政略結婚をさせられようとしていた。 遠野家当主の一郎や叶家の浮子たちが、 巨額の財産を自分たちで管理でしようとしたがための策略。 だが小夜子は大人が決めた運命など気にもせず、 暁よりも遠野家の養子、涼が気になるようだ。 お披露目のお茶会で並んだ 高校生の三人、小夜子、暁、涼。 「暁くんより、涼くんの方がいいわ」 何気ない一言は、 彼女が見せた明らかな意志である。 男たちが観る小夜子への目線。 美しい女性への目線。 愛情という側面もあれば、 鑑賞という側面もあれば、 征服したいという欲望もあるのだろう。 だが、男を幸福にする女も、 男を不幸に追い落とす女も 一人の「女」の中にある。 女の根底にはどこか、 力に屈服する心が潜んでいる。 だが、小夜子は屈服しなかった。 小夜子を屈服させようとした者たちは 次々と彼女の手によって死を与えられていく。 幼い幼児の頃から小夜子は、 義理の父親の魔手さえも逃れていた過去を持つ。 彼女は征服される女ではない。 と、同時に守られる女でもない。 涼に小夜子は魔性。 それは、涼のみ、彼のみ、 女を個性として観る感性を持っていた証拠。 だから、小夜子を畏れ、小夜子を愛した。 遠野涼は小夜子を守ろうとした。 天女を愛する資格を持つ、 ただ一人の男だったろうに。 麻井由以子が、 そして他の少女たちが観た小夜子は憧れ。 だが、小夜子には由以子が憧れ。 自分が愛した男に愛され、 守られ、自分も彼を守ることが出来る関係など 小夜子のとっては夢のまた夢。 小夜子は鈴木杏、 難役に大胆に挑んだ彼女はまさしく女優。 勝地涼の遠野涼は、適役だろう。 深水元基は暁は原作とは違う存在感である。 及川中監督作品、 年代や舞台設定を限定したことにより、 原作のもつテーマは和らいでいる。 真実の語り手である麻井鷹志が女性になり、 女性にとっての小夜子と 男性にとっての小夜子の差異がぼやけてしまった。 だが監督が原作のテーマを充分理解し、 おさえた照明と素朴なカメラワークで、 二次元から三次元に降り立った吉祥天女に、 しっかりとした存在感を与えている。 原作とは違う演出に悪い印象は感じないですんだ。 唯一無二の作品を映画にするのは難しい。 寧ろ、映像となった吉祥天女が、 形となったことが嬉しくさえ思えてくる。 男であるとか、女であることかで、 境界線を感じる必要はない。 小夜子に憧れる由以子、 小夜子が憧れる由以子。 全ては表裏一体。 自分の運命に自分の中にある。 男以上に女はそうであると思わせてくれる作品である。 「吉祥天女」公式サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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