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2024.03.21
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カテゴリ:光る君へ
​​そろそろまひろと道長の恋愛にイラっとしてきたら、次回で別れることに
なるそうで、ちとホッとしたみことです。

大体、道長のお父さんの兼家も、まひろの父と同じく受領階級の娘を妻と
しています。
それが、道長の母や道綱の母達で、この中の道長達の母が正妻となって
います。
道長は源を妻に迎える意図があったようなので、そうなるとまひろは正妻
にはなれませんが、普通に結婚出来ます。

だから、制作者としては、まひろに道長の正妻以外は考えられない、と
言わせるわけですね。
次回まひろは、やはり道長の妾でも良い、と思うが、道長から結婚相手
が倫子だと聞いて身を引く覚悟をし、2人は別れることになるそうです。

また、大河ドラマではまひろが野菜を育てたりしていましたが、父の為時
は職を解かれても六位の位は失っていないので、食べるのに困る程まで困窮
はしないと思います。
宮中に出仕出来ませんが、それ以外の仕事はあったと言われています。
為時は中流貴族なので、裕福で豪邸に住むことはなかったでしょうが、
ドラマのようなことはなかったはずです。


さて、倫子は24歳と言う、当時としては考えられない程の晩婚です。
これは、恐らく父雅信が倫子を花山天皇に入内させようと思っていたのが、
大勢の女御が入内するわ、そのうちたった2年で花山天皇は退位してしま
うわで、タイミングを逸してしまったようです。


  
黒木華、NHK大河「光る君へ」源倫子はまひろ(吉高由里子)を「興味を持って見ているし、認めているかな」 - サンスポ
       (C)NHK

今、正確な年代を見ていませんが、それにしても遅いかな。

そして、紫式部も推定24歳頃宣考と結婚したと考えられています。
こちらの大変な晩婚ですが、紫式部集を考察した人の説では、若い頃恋愛
に破れた経験から、結婚に対して式部が臆病になったか、そもそも恋愛に
対して奥手になっていたかもしれない、とのことです。

しかし、父と一緒に越後に言った紫式部は、宣孝と文通を重ね、1年後に
1人で京都に帰り、宣孝と結婚しています。

   
藤原宣孝役 佐々木蔵之介さん ~明るく朗らかにまひろたちを見守る - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK
      (C)NHK

倫子は道長の子を次々と産み、そのうち娘は全員帝や春宮(=東宮 とうぐう)
に嫁ぎ(従兄婚、伯母甥婚だらけ)に入内しました。
面倒見がよく、行動も活発だった倫子は宮中にも気安く出入りしていたと
あります。

43歳頃最後の子である嬉子を出産、道長より高い従一位に叙せられ(道長が辞退
して倫子に譲り、後に道長も従一位 臣下最高位)、90歳の長寿を全うした幸せ
な人生だったと言えるでしょう。

対して紫式部。
結婚2年で夫を亡くしてしまいます。
また、一人娘である賢子に恵まれましたが、その頃から宣孝の訪れがなくなり、

「おおかたの秋のあはれを思ひやれ 月に心はあくがれぬとも」
(他の方に心を惹かれていらっしゃるのもごもっともですが、いつも悲しみに
暮れている私のことも思い遣って下さい。たとえ私に飽きてしまったとしても)

と書き送っています。

また、撫子の花を見て、

「垣ほ荒れ淋しさまさるとこなつに 露置きそはむ秋までは見じ」
(父親の顔も見ず、荒れて淋しさが募っている撫子(=とこなつ 娘の賢子
を指す)に涙の露が置き添う秋まで、私は生きていられそうもない)

とも詠んでいるので、はじめのような歌を送っても、宣孝の訪れはほとんど
無かったようなのです。

2人の年齢差なのか、或いは紫式部の高い自尊心や賢さが、宣孝には鼻につ
いたのか、宣孝に聞かなければわかりませんが、疎遠になりがちなまま、
宣孝は亡くなってしまいました。

短い結婚生活で夫を亡くしたのは不幸でしたが、その後程なく求婚者が現れ
たことが、式部の歌集から察せられます。
しかし、傷心の式部は相手にせず、翌年同じ男性から和歌が送られても、好意
を持てなかったようで、先には進まなかったようです。

宣孝を亡くした後の悲しみから見て、式部は宣孝を慕い、

関東地方の奥様方、地震で怪我などしませんでしたか❓
最大震度5弱とか。
風も強く、乾燥しているけれど、火よりまず身を守りましょうね。

頼りにしていたことがよく伝わりますね。

それでも、「源氏物語」を執筆し、彰子に仕え、最初は辛い宮仕えでも、後
には彰子から絶大な信頼を得、遣り甲斐を感じることが出来たことでしょう。
また、娘の賢子も彰子に仕え、紫式部の死後かもしれませんが、
後冷泉天皇の乳母になっています(大弐三位)。
「栄花物語」の中には、
後冷泉天皇が風流なのは、大弐三位の育て方が良かったからでしょう、との
記述も見られます。

とても素敵な女性に育てたのでしょう。

一時は悲しみに暮れ、自分は幸せになれない身だが、それでもそんな身を捨
てきれない、と嘆いたこともあった紫式部ですが、大器晩成型とでも言いま
しょうか、中身の濃い人生だったのではないでしょうか。


実資との結婚話がドラマ上では出るそうですが、後に彰子と実資の取次役に
なるので、この伏線❓大石静さん、面白いことを考えますね。


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最終更新日  2024.03.21 09:38:43
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