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2016.11.24
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カテゴリ:旅行

クラブツーリズムのツアーで高野山から九度山へ1泊2日の旅に出かけました。

名古屋発の近鉄電車アーバンライナーで大阪難波へ


車中で早々に八百彦さんのお弁当で昼食タイム


難波で南海電車に乗り換えます。


南海「橋本」の駅までは快速電車で


「橋本」の駅からは


高野山に向かう南海電鉄の観光列車「天空」に乗ります。




車内はこんな感じで窓が大きく開放感があります。



途中明日行く九度山の駅を通過



観光列車という割りに思ったよりスピードがあり

(傾斜を登らなければならないので)

写真が流れてしまいうまく撮れなかったのですが

この辺りは富有柿の一大産地でたわわに実った柿の畑を何度も目にしました。


「極楽橋」の駅で今度はケーブルカーに乗り換えです。


紅葉は先週が見頃だったようで木々も少し色褪せています


名古屋を9時に出発し14時40分に

ようやく「高野山」駅に着きました~ぐー大笑い


まずは「高野山 奥ノ院」へ

2mをゆうに超える杉木立の参道

宗派を問わず企業から個人まで様々なお墓が並びます。

戦国武将のお墓も多数ありますが

今回は

中の橋から奥ノ院を目指すので

石田三成や明智光秀らの供養塔は見られず残念


織田信長公のお墓や


豊臣家の墓所も高野山にあります。

秀吉と母公、淀君と弟の秀長とその妻を供養する石塔があります


この奥が弘法大師の御廟である奥ノ院





本日のお宿は宿坊です「天徳院」


宿坊といってもお部屋はこんな感じでテレビもあります


夕ご飯は精進料理

ごま豆腐に


高野豆腐の煮物もあります。

2膳もあるなんて贅沢だわぁ~

どれも上品な味付けでとっても美味しかったです

夕食後は

ライトアップされているという壇上伽藍を見に行きました



漆黒の闇夜に浮かぶ朱塗りの根本大塔


金堂


とても静かで厳かで神秘的な感じです


寒かったけど

頬を刺すようなひんやりした空気が

またいいなと結構長い時間を過ごしました。

夜半雨

早朝は6時から本堂でお勤めに参加


朝ごはん

がんもどきに御汁が滲みてて

こんなにおいしかったかなぁ~と

もうご飯も美味しくて~赤ハート

普段朝こんなに食べないのにしっかり完食デス大笑い


小堀遠州の作というお庭を一階の縁側から拝見


そして何とお部屋からも

こんな素晴らしいお庭を拝見することが出来ました



夕べお参りした壇上伽藍へ

今日は少し雨模様

雪かもって最初言われていたので雪ではなくて良かったです。


空海が唐から帰国の際

寺院建立にふさわしい土地を祈願して

投げた三鈷が枝に架かったとの伝説がある三鈷の松




三葉の松を見つけると幸せになれるという四つ葉四つ葉四つ葉






続いては「金剛峯寺」

豊臣秀吉が亡き母の菩提のために建立


ここは豊臣秀吉の甥である秀次が自刃したお寺としても有名

思ったより小さなお部屋「柳の間」


ヒノキ、ツガ、マツにスギ、モミとコウヤマキ

六種の樹木を「高野六木(こうやりくぼく)」と呼び

伐採を行った跡地にはこの六種を植えたという


さていよいよ「蓮華定院」

真田家の菩提寺であります。

本来は檀家さんと宿泊客のみの室内公開らしいのですが

今年は特別だそうです

ここは

真田昌幸、信繁親子が関ヶ原の戦いの西軍敗戦後

徳川家康に蟄居させられたお寺です。

蓮華定院が焼失した際に信濃の方へ再建のための寄進に行ったところ

真田の前の豪族が大層手助けをしたようで

感謝した蓮華定院が

今後

何かあったらお助けしましょうという約定が結ばれていたそう。

真田の代になってもその約定は引き継がれていたことから

縁あって蓮華定院に身を寄せることになったという。


室内には

信繁が兄の信之にあてた焼酎を無心する手紙などもあり

これかぁと興味深く拝見しました。

お寺の裏には

信繁の兄である信之のお墓と二男で跡取りとなった信正のお墓が


朱印をいただきました


お昼も精進料理

お土産屋さんの二階であまり期待はしてなかったのですが大笑い

これがすごいおいしくてダブルハート

中でも

はじめて食べた「ごま豆腐の湯豆腐仕立て」

温めるという発想がなかったので

ごま豆腐のふわ~ととろけるような食感に感激して

帰りにしっかりと階下のお土産のごま豆腐を買っちゃったというぽっ


食後は少しバスに揺られて丹生都比売神社へ




太鼓橋に


まだ少しだけ紅葉が楽しめました。

真田の赤は紅葉の赤なのか?と

ここに来て赤色の紅葉を見るたび思ってしまいました葉


まずは九度山にある「慈尊院」へ

女人禁制だった高野山

例え弘法大師のお母さんでも高野山に登ることは禁じられていました。

お母さんは晩年、麓のこのお寺にいて

弘法大師が月に9度訪れたことから九度山の名がついたとされる


このお寺には

昔ゴンちゃんという野良犬が現れて

旅人を高野山まで約20kmの道のりを毎日案内したという

弘法大師にも高野山まで道案内をした犬がいたとの伝説があり

弘法大師案内犬の再来といわれていたとか


このお寺の前にはおいしそうな富有柿が

地形や気候が柿を育てるにはとても良い環境なのだそうです


そしていよいよ九度山 真田庵へ


民家の軒先には真田の兜を模したモビールが


家族と暮らした真田庵

ここも実は高野山の蓮華定院の管轄下

家臣もいて手狭であり女人禁制の高野山では

長年の蟄居生活もいろいろ大変と九度山に移ることに・・・


ここで14年暮らしていたのですね~

現存する建物は

昌幸と信繁が暮らした屋敷跡に建てられたお寺

お庭を見るとここは畑だったのかなぁと思ってしまいます。


志半ばで亡くなった真田昌幸のお墓

真田宝物資料館には信繁が使ったとされる槍先や鎧などの武具の他に

真田紐の織機などもありました


こちらでも朱印を


九度山★真田ミュージアム


中には

大河ドラマで使われた小道具があり

佐助が描いたきりちゃんの似顔絵や

昌幸が死ぬ間際、信繁に託し

信之が何が書いてあるかさっぱりわからないとのたもうた●と△の兵法書

サナール紐の現物

なども見ることが出来ました




ものすごい速足で

正直もう少しゆっくり時間が欲しいと思いましたが

それでも

高野山と九度山の空気を肌で感じることが出来たので

来ることが出来て良かったなぁ~と

終わってみれば大満足の旅でございました


帰りは近鉄「大和八木」の駅から乗車して名古屋まで





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最終更新日  2016.12.17 22:23:35
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