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2020年1月25日(土)
海部氏と尾張氏はほとんど同族と言っても間違いないことが国宝の家系図によって明らかなのでした。 壬申の乱では、尾張衆二万人の兵が、真っ先に大海人皇子・天武天皇の元に帰属したのです。 その尾張衆の熱田神宮には皇室の三種の神器のうち、「草薙の剣」が所蔵されているのです。 ウキペディアのイメージ画像 日本書紀には、天武天皇が朱鳥元年(686年)病気になられたとき、「草薙の剣」の祟りがあるとされ、尾張国熱田社に送って安置させたと記載されているのです。 伊勢神宮が現在のように整備されたのは明治時代以後であり、伊勢神宮に行幸した天皇の記録は残されていないのでした。 伊勢神宮は、天武天皇の時代には「草薙の剣」を託せるような存在では無かったのです。 天武天皇が天皇即位の象徴である「草薙の剣」を、尾張氏の鎮守神社である熱田神宮に託し、今日でも熱田神宮によって維持管理されているのは何故なのでしょうか。 そして、天武天皇出自の海部氏天橋立籠神社には2000年以上前から伝わる邊津鏡と息津鏡が伝わっています。 https://www.motoise.jp/about/houbutsu/ その籠神社は元伊勢であり、持統天皇によって伊勢神宮が定地される前は伊勢神宮の大元なのでした。 天武天皇が薨去した後、持統天皇が伊勢神宮行幸しようとしたことに対して、大三輪高市麻呂は官職を賭して諫めたのでした。 元伊勢籠神社に2000年以上前からの「八咫鏡」が所蔵されているのに、三種の神器の「八咫鏡」がどこに保存されているのか明かされないのは何故なのでしょうか。 元伊勢籠神社が所蔵する邊津鏡と息津鏡が三種の神器の「八咫鏡」だと考えるのは不埒な考えなのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.01.25 17:10:45
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