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2020年4月8日(水)
「非常事態宣言」のもと、皆様のお仕事にはどのように影響されていますでしょうか。 五月の連休まで続きますから本当に深刻ですね。 私は、聖徳太子の真実が広がることによって新生地球が開かれると思っています。 聖徳太子は飛鳥時代45年間を通して「みろくの世」のひな型を創ったからです。 その真実を明らかにするのが拙著「蘇る聖徳太子の真実」の役目だと考えています。 歴史学者の誰一人として否定することのできない証拠で明らかにしました 専門家はあてにならないのです。 表紙に載せた飛鳥寺聖徳太子十六歳像は、聖徳太子とは蘇我馬子の長男の蘇我善徳であることの動かすことのできない証拠なのです。 飛鳥寺の聖徳太子十六歳像が何故に真の聖徳太子の動かしがたい証拠なのでしょうか。 この像は、蘇我馬子の長男・蘇我善徳が「飛鳥寺・法興寺」の寺司に就任したときの記念像であるからです。 聖徳徳太子はこの時十六歳であったのです。 聖徳太子は65歳で亡くなったのでした。 中大兄・天智天皇と中臣鎌子・藤原鎌足によって暗殺されたのです。 入鹿神社の御神体の木造座像がその証拠です。 その像はテレビ東京に公開されました。 殺されたのは「飛鳥寺・法興寺」の境内の入鹿首塚の場所であったのです。 1400年経った今でも毎日お花が上げられています。 聖徳太子が645年大化の改新まで生きていた証拠が法隆寺にあります。 善光寺如来と聖徳太子の間で交わされた国宝の往復書簡です。 善光寺が創建されたのは643年ですから、この時点で聖徳太子は生存していたことの証拠です。 善光寺は聖徳太子を祀る寺であったのです。 善光寺の開山上人が聖徳太子の正妻の刀自古郎女であることがその証拠です。 そして、殺された聖徳太子の遺体は膳部夫人と一緒に法隆寺・藤ノ木古墳の一つの棺に納められたのです。 藤ノ木古墳に聖徳太子の遺体が納められた証拠は一つの棺に納められた二つの遺体と馬の鞍です。 聖徳太子には「鞍作」という別名が与えられているのです。 歴史の真実を取り戻すことは新生地球を開く上での必要条件であるのではないでしょうか。 聖徳太子のお手製と考えられる国宝弥勒菩薩像 文芸社より刊行 「蘇る聖徳太子の真実ー皇室は聖徳太子の血統を継いでいた」 飛鳥 探真 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.04.08 12:47:18
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