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美竹姫のひとりごと・・・

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2011年01月07日
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カテゴリ:社会の窓?
米で西部劇の英雄、恩赦ならず ビリー・ザ・キッド

米ニューメキシコ州で、西部劇の英雄として根強い人気を誇る19世紀の無法者「ビリー・ザ・キッド」の恩赦を求める請願が提出されたが、リチャードソン前同州知事が退任直前にこれを退け、約130年ぶりの名誉回復はならなかった。
キッドは実在の人物で牛泥棒や保安官殺し、脱獄などの末、射殺された。
映画や小説で取り上げられ、弱きを助け強きをくじく“義賊”としてのイメージが定着している。


ビリー・ザ・キッド(Billy the Kid、1859年11月23日 - 1881年7月14日)は、アメリカ西部開拓時代のアウトロー。

ニューヨークに生まれ南部のニューメキシコ州で育ったと言われる。
本名はヘンリー・マッカーティ(Henry McCarty)とされるが、偽名としてヘンリー・アントリム(Henry Antrim)、ウィリアム・H・ボニー(William H. Bonney)という名前も知られている。
ウィリアム・H・ボニーの名はサインに使われ、州知事に恩赦を求めて本人が書いた手紙等が残っているほか、下記の墓石にも刻まれている。

南北戦争期でも特に知られたアウトローで、最初の犯罪は洗濯物泥棒であったという。
伝説では12歳の時に母親を侮辱した男を殺してアウトローとなったとされるが、実際には家を出たのが母が死んだ15歳の時、最初の殺人を犯したのが17歳の時であったという。
10代はじめに殺人を犯してから死ぬまでに21人を殺害した(メキシカンやインディアンは含まない)という。
しかし、その実数はおそらく9人(自分1人で4人、他の助けを得て5人)ではないかとも言われている。
アリゾナやテキサス、さらにメキシコ国境で牛泥棒、強盗や殺人を重ねた。
目は青く、その時代のアメリカ西部の無法者としては口が達者で、異様に親しみやすい態度の持ち主であったという。
リンカーン郡でイギリス移民ジョン・タンストールの売店の用心棒となったが、商売敵との縄張り争いが拡大し、リンカーン郡戦争とよばれる騒動に発展、過失で4人を射殺し1880年12月に友人でもあった保安官、パット・ギャレットによって仲間と共に逮捕される。
1881年4月18日に刑務所を脱走。
このことがニューヨークタイムズで報じられ、有名となる。
同年7月14日、ニューメキシコ州フォートサムナーにてギャレットに射殺される。
その時ビリーは丸腰で寝室から食べ物を取りに部屋を出たとこを闇討ちされたと言われる。
寸前に発した最期の言葉は「?Quien es?(スペイン語で「誰だ?」の意)」とも言われている。

ビリーの墓彼の墓石は度々記念品として削られて持ち帰られてしまうため、現在は檻の中にしまわれてしまっている。
墓石にはこのような墓碑銘が刻まれている。

Truth and History.

21 Men.

The Boy Bandit King

He Died As He Lived

William H. Bonney "Billy the Kid"

(真実と経歴。21人を殺した。少年悪漢王 彼は彼らしく生きて死んだ ウィリアム・H・ボニー 『ビリー・ザ・キッド』)

(ウィキペディアより)

という内容。

私の海外でのニックネーム"Kid"
かれこれ(そう呼ばれて)23年になるが、その由来の1つがこの”Billy The Kid"
その理由はいくつかあるのだが、ともあれWestern ファンの私にして、お気に入りのWestern Legend の1人として、Outlaw だ。

Billy The Kid の死亡に関しては、様々な取出しがあり、実はBilly は生き延びていた。
そして、自分こそがビリー・ザ・キッド 本人だというような話がいくつか後にとりだたされた。

同州にいくと、民謡にもなっており、毎年Billy を偲ぶ祭りも開催されているという。

Billy が、未だにジェームズ・ディーンなどのようなヒーローとして、人気が高いことが、うかがい知れる。

そのBilly の恩赦が、130年経ってなお、またしても認められなかったのだそうだ。
しかし認められることが、本当に良いことなのだろうか・・・

いまなお取り消された恩赦が再認されない事が、ビリー・ザ・キッド のビリー・ザ・キッド たる部分を補っているような気がするのは私だけだろうか・・・・

因みに、ビリー・ザ・キッドの死亡証明書は存在しておらず、法律上 ビリー・ザ・キッドはまだ死んでいない。

真実はどうであれ、人々に魅力を失わせないで止まないビリー・ザ・キッド

そしてこれからも、いろんな形で、Western ファンの我々に話題を提供し続けてくれる事だろう・・・

追記
ビリー・ザ・キッド に関連した映画は多く作られているが、陰気臭いビリー・ザ・キッド が多い。
そんな中、個人の好みもあるが、Emilio Estevez 主演で作られた "Young Guns" "Young Guns 2" は、非常に面白かった。

シリーズ通しての競演には、TVシリーズ ”24”のジャック・バウワー役で知られるキーファー・サザーランド
”ラバンバ””戦火の勇気”のルー・ダイヤモンド・フィリップス

シリーズ1では、エミリオ・エステヴェスの実弟 ”メジャーリーグ”シリーズや”ホットショット”シリーズなどのチャーリー・シーン
”バグダット・カフェ”での演技も印象的なジャック・パランス(その他 シェーン など出演作多数のベテラン)
ゲスト出演で、西部劇の大御所 ”ジョン・ウェイン” の実子 パトリック・ウェインが・・・

シリーズ2では、”トゥルー・ロマンス””インタビュー・ウィズ・バンパイア”などで人気のクリスチャン・スレーターや"Twister"”ガープの世界”の ジェニー・ライト(セミ・ヌードも劇中で披露!! 主演のEmilio Estevez とは、St.Elmo's Fire に次いで2度目の競演、セクシーな魅力的な女優さんなのに、作品に恵まれない。なぜ??)、日本では"Speak LARK !” のフレーズで有名なタバコLARK のCMでもお馴染み(って、知ってる人は40歳代以降??)、ジェームズ・コバーン(”ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯” という映画では、パット・ギャレットで出演 この時のビリー役は、カントリー歌手でも知られるクリス・クリストファーソン)の他、テーマーソング ”ブレイズ・オブ・グローリー”を歌うジョン・ボン・ジョビもカメオ出演するなど、オール・キャスト・ムービーとして、華やかさも・・・

ビリー・ザ・キッド にご興味の方は、是非こちらもチェックしてみて!





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Last updated  2011年01月07日 07時43分33秒
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