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美竹姫のひとりごと・・・

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2011年05月03日
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カテゴリ:社会の窓?
<ビンラディン容疑者殺害>「9.11」遺族、テロ根絶誓う

世界を震かんさせた「9.11」から約10年。
国際テロ組織アルカイダの最高指導者、ウサマ・ビンラディン容疑者(54)殺害のニュースが2日(日本時間)、世界中を駆け巡った。
首謀者とされる人物がいなくなっても、遺族は心に区切りをつけることは難しく、報復を心配する声も出る。
テロや戦争のない日々は訪れるのか。

「我々遺族の胸の中に区切りはない。子どもが帰るわけでもなく、悲しさや悔しさが増幅するだけです」。
同時多発テロで、富士銀行(現みずほ銀行)ニューヨーク支店に勤務していた長男和重さん(当時35歳)を亡くした広島市安芸区の元銀行員、伊東次男さん(76)は、かみしめるように語った。

2日昼、報道機関からの電話でビンラディン容疑者殺害を知った。
米国が大変な犠牲を払った答えなのだろうと思うが、「同じ悲劇が蒸し返されるようなことはあってほしくない」と報復テロの活発化を心配する。

テロから10年近くたつが、和重さんの遺体は見つかっていない。
02年1月、ニューヨーク州の裁判所から死亡宣告を受けた。
自宅には、今も形見のスーツとネクタイを大切にしまってある。

度重なる訪米の世話になった知人から依頼されて約2年前、「原爆体験」を多くの人の前で語った。
広島に生まれ、1945年8月6日の原爆投下で12歳の兄を失った経験を持つ。
「息子の死」も重なり、平和への思いは募った。地元の中学校や原爆資料館で、平和の大切さを訴えている。
「一方にとっての正義は、一方にとって悪である場合もある。どうしたら負の連鎖を断ち切れるのか。世界中の人に考えてほしい」と訴えた。

◇死を喜ぶ姿うろたえ

世界貿易センター(WTC)で夫リチャードさん(当時54歳)を亡くしたコネティカット州のジュディ・キーンさん(64)は2日朝、毎日新聞に「うれしいと言えるかもしれないが、別の部分ではうれしいとは言いたくない。終わりに向けた一つのステップとは思う。人々が1人の死を喜ぶ姿には少しうろたえている」と心境を語った。

前夜に息子から知らされたジュディさんは「誰かが彼の地位を引き継ぐだろうし、米国の厳しい警戒は続くと思う」とも述べた。
ジュディさんは夫の名前を冠した基金を設立して体育館を建設。
子どもに9.11を語り継いでいる。

◇「USA」を連呼

テロの現場となったニューヨークのWTC跡地(グラウンド・ゼロ)近くの道路には、オバマ大統領の声明を聞いてニューヨーク市民ら数百人が集まった。
工事が続く跡地の隣で星条旗を振って「USA」を連呼。
あちこちでバグパイプの演奏や「ゴッド・ブレス・アメリカ」の斉唱が流れた。

マーク・バリントさん(49)は、義弟がWTCでテロに遭遇。
幸い無事だったが今も強いストレスに襲われ仕事もままならない。
「国内外にテロリストは存在する。テロとの戦いはまだ終わらない」と笑みはなかった。

◇「私たちに関係ない」

エジプト・カイロの街角では、ビンラディン容疑者死亡を静かに受け止めている。
特に、民衆革命で独裁者を倒し、自由を得た市民には、容疑者は「過去の人」と映るようだ。
「ビンラディン? 私たちには関係ない」と会計士の男性(33)は首をすくめる。

という内容だ。

まるで映画のワンシーンを観ているかのようだった・・・

あのテロをこう表現した人がどのくらいいただろうか・・・・

そのくらい、非現実的な場面だった。

私も、有人からの連絡で知らされ、慌ててTVをつけた記憶がある。

同年の12月。

当時所属していたボランティア団体の活動として、私はグランド・ゼロを目の前に立った。
その放たれる異臭たるや、この世のものとは思えなかった。

私の所属は、Montreal 支部。

当然、日本からの参加に義務はないし、1円の援助もでない。

しかし、このテロで2人の友人を失った私は、行かなければならない気がして、参加した。
同年4月30日私を息子と呼んだカナダ人の母がなくなったのだが、様々な理由から行けなかった事への後悔もこの時後押ししたのかもしれない・・・・

支持回復を狙ったアメリカ政府による自作自演だった。

などという噂も流れ、いまなおそれを支持している人もいる。

首謀者といわれたオサマ・ビン・ラディンが死亡した事により、これで永久にその真意は分からなくなってしまった。

この死を喜ぶ姿がTVに映し出されていたが、私的には複雑な感情が渦巻いた。

暴力に暴力で対抗した事が、果たして本当に正義を果たしたといえるのだろうか・・・

亡くなった人たちは、帰ってはこない。

多分、仇をとってくれて有難う・・・と思っている事もないだろう・・・

これを1つの区切りとしてみるならば、平和回復への1歩 きっかけとなってくれることを望みたいものだ。





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Last updated  2011年05月03日 10時18分50秒
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