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テーマ:京都。(6066)
カテゴリ:京都
北山女子大学での授業中に、今日は恋人の神坂一郎に高尾に連れて行ってもらおうと木下優佳が考えたころ、当の一郎君は、京都大学の研究室で仲間の分析実験を手伝っていたのですが、何と彼、分析しながらも、優佳が今日どこに行きたがるかの予想をしていたのです。
そして、おそらく今日は高尾(観光案内的には、髙雄が一般的だが、紅葉の名所でもある三尾というくくりで考えると、高尾が正しい。)に行きたいと言い出しそうだとまで予想していたのです。 まあ、京都市内もいろいろなところに行きつくしていましたから、残るは嵯峨野から周山方面だとの合理的な分析の結果でもあったので、彼が当てたのは驚くようなことではありませんでした。 ただ、当時は現在のようなカーナビも、スマホはおろかケータイすらない時代でしたから、一郎君、車に戻ると地図を取り出して予習したのです。 彼、サヴァンの頭脳だけでなく、方向感覚にも優れていましたから、地図を見ただけで、目的地への道筋だけでなく、周辺の地形まで頭に入れたのです。 高尾を通る周山街道は、彼が京丹波の家との間を通学する裏道でしたから、そのあたりは十分に頭に入っていて、三尾の中でも、高尾ではない栂尾(とがのお)の高山寺は、その道の途中にありました。 当時の関西人の感覚からいえば、三尾では栂尾高山寺が伝鳥羽僧正筆の鳥獣戯画が余りにも有名でしたから、最もポピュラーで、他の二つ、槙尾の西明寺と高尾の神護寺は、知名度的にはかなり落ちたのです。 それでも高尾の神護寺は、到底源頼朝とは思えない肖像画が有名ですから、名前は知られていましたが、どこにあると聞かれると、直ぐには出てこない程度のお寺だったのです。 その神護寺がポピュラーになったのは、某カラーテレビの宣伝に、真っ赤っかの紅葉を階段の下から見上げる場面が使われてからではないかと、考えています。 元々、高山寺にしても、1965年にデューク・エイセスが歌ってヒットした歌京都のご当地ソング「女ひとり」の影響も大きかったと思います。 一番の出だしが、「京都大原三千院…」で、二番が「京都栂尾高山寺…」なのですが、最初の印象が強すぎるのか、その後、その女性が着ている和服の描写があるのですが、全然思い出せません。 しかし、この歌詞のためか、大原は、以前は寂光院の方が有名だったのが逆転してしまいました。 この歌、三番まであるのですが、そこまで聞いて覚えている人は少なかったようで、三番に登場する嵯峨野の大覚寺は、他の2件ほど知名度は上がらなかったようです。 ちなみにこの歌、日本昔話のオープニング曲の出だし「坊や良い子だねんねしな…」の部分に似ているという人もいます。 言われてみると、確かにその部分は似ています。 さて、優佳さんを連れて高尾に行くことになるのですが、神護寺、結構わかりにくいところにあるんです。 一郎君にすれば庭のような周山街道なのですが、高山寺の手前で西の方に細い道を入って行った奥にあるので、いろいろ考えた挙句、優佳さん、歩くのは平気だと言うので、周山街道沿いのホテルもみぢ屋で駐車して、一旦降りて川を渡って、それから上り坂を登って行くコースを取りました。 結構きつい坂道でしたが、真っ赤っかの紅葉の中を登って行くと門がある印象的な風景でしたから、優佳さん、満足しました。 ただ、面白かったのは一郎君で、単純な真っ赤っかの紅葉は、今一つ興に乗らなかったようで、これなら美山の大野ダムあたりの紅葉の方がきれいだとぶつぶつ言っていました。 当然、優佳さんは初めてだったのですが、聞いたら一郎君も初めて来たというので、文句を言っているのがおかしくて笑ってしまいました。 特に中に入って見るようなお寺でもなかったので、門を入ったところで回れ右して、またもアップダウンを歩いて車に戻ると、嵐山髙雄パークウェイをドライブすることにしました。 途中、菖蒲谷池という公園があったので降りてみると、細長い池がありました。 一郎君、池とか湖が嫌いだというので、優佳さん、半ば無理やり池のほとりまで連れ出しました。 小石がゴロゴロしていたので、優佳さん、水切り遊びを始めると、一郎君、不思議そうに見ていました。 聞いてみると、彼、こんな遊びはやったことがないというので、どっちが回数行くか競争しようともちかけてみました。 普通、平たい石を選んで横手投げで投げるものなのですが、本当に知らなかった一郎君、丸い石をオーバースローで投げたものですから、一度も弾みません。 あっさり負けて頭に来たのか、何と彼、結構大きな石を池の向こう岸まで楽々と届かせて投げて憂さ晴らしをしていました。 いいお天気だったので、夕焼け空を見ながら帰途に就きましたが、あっという間に暗くなり、嵯峨野でパークウェイを降りたころには暗くなっていました。 じゃあ、食事をしていこうと一郎君に誘ってもらえたので、嵐山近くのレストランで食事をごちそうになりました。 一郎君、昨日の件がありましたから、ずっと優佳さんの様子を観察していたのですが、今日は特に変わった様子はありませんでした。 ただ、食事をしながら聞いてみると、今日歩いたアップダウンの道の記憶は断片的で、しっかり覚えていたのは、神護寺の紅葉ではなく、菖蒲谷池の一郎君の遠投だったのです。 うーん、元々そんなに記憶力は良くなかった優佳さんだったけど、やはりまだちょっとおかしいかなあと心配になりましたから、いろいろと話しかけて記憶を引き出そうと努力した一郎君でした。 続く。 画像は、カメ次郎とカメ三郎です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 5, 2023 08:22:22 PM
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