あるサヴァン症候群の男のお話 140 夫から見た徒然
今日は、神坂夫婦の夫、俊一郎からの視点で送ります。私、神坂俊一郎は、66歳で仕事から完全にリタイヤしましたが、仕事の時は、馬に乗っていましたから、運動不足解消のため、サイクリングをすることにしました。馬乗りに比べれば、一日平均13キロのサイクリングは屁みたいなもので、全く息が乱れないのは、最盛期は肺活量6リットル超だった、生来の心肺機能の賜物で、最初の頃は苦労した強風の向い風のサイクリングも、最近は全く苦にならなくなって来ました。つまり、それだけ体力、筋力がアップしているのですから、68歳になっても、まだまだ体力は増強できるわけです。そして、帰宅すると、風呂の残り湯の有効活用で、庭に水を撒いたり、ビオトープに水を補充したりした後、パソコンに向かいます。何をしているかと言えば、大学生の頃から書き綴っていた小説みたいなものの原稿の全面的な見直しにかかっています。ついでに、中国のテムの大安売りで買ったコードレスイヤフォンで。ユーチューブの音楽を聴いています。朝の掃除と風呂の残り湯運びの時は、ウォークマンでクラシック音楽を聴いていますが、パソコンに向かっている時は、JPOPと言うのか、日本の音楽中心です。最近の推しは、韓国の歌手とは思えない流暢な日本語で歌うダズビーさんです。彼女のカバー歌集が秀逸で、米津の歌さえ見事に歌うのには感心しています。特に「死神」には驚きましたし、スローなバラードの語り掛けも見事です。とは言っても、音楽は付け足しで、原稿見直しが主なのですが、元はノートに汚い字で書いていたものが、オアシスのワープロと併用するようになり、オアシスの親指シフトキーボードを駆使して入力していた頃は、プロ並みの速度でした。親指シフト、ローマ字かなの3倍以上の速度で入力できたのですが、今のパソコンでは使える機種が無いのが残念です。仕方なく、パソコンでローマ字かな入力していますが、近年かなりミスタッチが増えたのは、体力と違って老化を感じます。創造性から見ると、ノートに万年筆で書いた方が気持ちが良いのですが、それをパソコンに入力する時点で困ったことが起きるのです。何かと言えば、自分で書いた字が読めないことがしばしばあることです。元々、学校の勉強では頭の中のノートに書きこんでいましたから、ノートはほとんどとったことがなく、就職するまで、余り字を書いたことがなかったのです。字自体は、綺麗に書くと、達筆で有名だった両親の遺伝?なのか、それなりの字が書けるのですが、問題は、普段綺麗に書こうとする意欲がないことです。ですから、二度手間になることもあって、仕方なく直接キーボード入力にほぼ切り替えました。原稿書きは、高校時代の日記からスタートしています。それが、前世記憶やら、幻視した内容やらに脱線?して、一部は、壮大な物語に発展しています。特に、前世記憶を基にしたレムリアの物語は、物凄い長編小説になってしまいました。これ、原稿を読んでもらったことがあった、今は亡き、文筆業もこなしていた、大変多才だった大学同期の女友達からは、是非出版しろと勧められていたのですが、彼女が亡くなったことにより、立ち消えになっています。この小説は、前世記憶を基にしたと言いましたが、不思議な物語です。きっかけとなったのは、1995年に海外研修でアメリカヨーロッパ6か国を巡った時、アメリカの国内線で隣り合わせた、当時72歳のUFO研究家ルロイ・コッター氏(その筋では結構有名人だったそうです。)との会話で、「君の使命は、前世記憶を基に人々に愛を説くことだ。」と言われたことです。それまでは、レムリア何て全く知りませんでしたから、きっとアメリカとレムリアは地理的に深い関係があるのだと思います。前世記憶で特筆すべきは、妻との関係です。彼女は東北出身で、私は大阪出身ですから、全く会ったことは無く、初めて会ったのが、東京での1979年の4月1日の入社式の日でした。新人のあいさつ回りで、彼女が所属していた部署を訪れた時に、あっ、彼女こそ将来の妻だと確信しました。その日の日記に、「今日、将来の妻と会った。」と書いたほどだったのですが、その元は何かといえば、数々の前世で、彼女と一緒になっていた記憶があったことです。特に前々世では、彼女とは、相思相愛で、子供までできたのに、身分違いもあって周囲に結婚を認めてもらえず、彼女は、お腹の子供も道連れに自殺してしまったのです。偶然なのか、必然なのか、21歳まで住んでいた大阪府茨木市の土地が、彼女との悲劇の舞台でもあり、首を吊って死んだ屋敷の納戸の廃材で建てられたという物置小屋が残っており、彼女はしばらくそこに地縛霊となって留まっていたようでした。私は、時空を超越して幻視する能力もあり、その小屋の中に、赤い襦袢姿で、口から血を流している、首を吊って死んだ可哀そうな少女の幽霊を幻視したのです。既に転生した後だったのだと思いますが、過去の幻視で、悲しむ少女の霊を見て、「可哀想に」と彼女の霊に呼びかけたのです。呼びかけた時点で、私はまだ幼児でしたし、まさか結婚する相手になると言う意識は全くありませんでしたが、20年後に東京で再会したら、ああ、あの時の彼女だと気付いたのです。私の幻視能力は、過去だけでなく未来も見えますから、彼女は、将来結婚する相手でもあることがわかったのです。実際に交際がスタートするのは半年後だったのですが、それまでも、初めて乗った地下鉄の路線で同じ車両に乗っていたり、ふとビルを見上げたら、上から彼女がこちらを見下ろしていたり、不思議なぐらい出会う縁があったのです。そして、彼女とまだ交際する前に、10年後には今住んでいる家で、彼女と猫がいっしょに居る場面を幻視していました。その時彼女が「お父さん。」と呼びかけましたから、その時には彼女と結婚して、既に子供も居ることが推測できました。こんな風に、未来を予知するのですが、交際がスタートしたのは入社式の半年後で、結婚したのは1年後でした。お互い、酒もタバコも賭け事もしない品行方正同士の結婚でしたが、出身地が彼女は東北、私は大阪で、東京を挟んで遠く離れていましたし、家柄と学歴にも大きな隔たりがありましたから、彼女は、私との交際が発覚した当時は、「色仕掛けで落としたのよ。」と心無い陰口を叩かれてしまいました。当時はまだ、彼女の体に触れたことも無かったのに、私の母もそう思っていたようでした。それでも、結婚したら、世間ではおしどり夫婦、いや私が彼女の尻に敷かれていると思われていましたが、実際は、温厚な紳士と見なされていた私は、現役のヤクザさんさえ恐れさせるほど強かったのです。でも、その強さをわきまえていて、絶対外には出しませんでしたし、女性には絶対手を出しませんでしたから、彼女の方が、それを見抜いて、手も足も出して、夫婦喧嘩をしまくっていたのです。まあ、皆は私を温厚な紳士と思っていてくれましたから、問題は起こしませんでした。やくざさえ恐れたように、私が本気で手を出せば、人を殺しかねませんでしたし、そんな私の強さを知っていたやくざさんたちは、私を組の幹部にしようと画策したのですが、私に関わったヤクザさんたち、3年以内にみんな故人となってしまいました。丁度山一抗争の時代で、抗争事件で殺されたり、失態の落とし前で自殺を装って殺されたり、悲しい世界でしたから、その世界に入らずに済んだのが、私には幸運だったでしょう。現在校正している原稿は、昔に手書きしていたものを、ワープロやパソコンの普及に合わせて入力しなおして保存したものですから、古いものは、フロッピーディスクに入っていて、40年以上経っています。それで、整理統合されてワード文書になったものでも、最初のものは20年以上経っていました。笑ってしまいますが、書いた本人がもう忘れているものも多いのです。中には、何故こんな怖い話を書いたのだろうと、私自身が訝しむものもあります。ホラーですが、フィクションのつもりで書いていたのに、後に現実になってしまった、つまり原稿の内容が実現してしまったものが、ちょこちょこあるのです。私自身は、そうなっては欲しくないと思って書いた内容に限って、実現してしまったわけですが、私には、未来幻視能力がありますから、自業自得と言うか、幻視した未来を無意識に原稿に書いてしまっていて、それが現実になっただけだったのだと思います。数々の前世で夫婦となって、時として殺し合ったり、むしろハッピーエンドの方が少ない彼女との結婚生活は、もう45年経ちましたから、金婚式も夢ではありません。いろいろ苦労はありましたが、最大は、子供の頃に、何度も私を殺そうとした虐待常習母の介護をせざるを得なくなったことでした。妻にとっても、学歴や家柄で、散々馬鹿にされた義母でしたし、「お前たちの世話になんかならないから、金よこせ。」とさんざんたかられた相手でもありましたから、そんな義母の介護は絶対嫌だったと思います。しかし、私が幻視して、「最短で終わらせるためには、受け入れた方が良い。」と説得して、受け入れて介護しましたが、一番負担が掛かったのは、彼女でした。それでも、私が彼女を、光源氏ならぬ俊一郎源氏の紫の上として磨いたことが幸いしました。私は、自分の教養を彼女に惜しみなく注ぎ、ほっぺの赤い田舎娘だった彼女を、上品な女性に変身させたのです。そのために、女性なら誰でも欲しいと思うであろう、高価な衣服や宝飾品なども、買い与えました。釣った魚に、ちゃんと餌をあげて育てたのです。私自身は、贅沢したのは車だけで、不思議な縁で、残念ながら数年前に亡くなったのですが、1,500台以上と、日本一ベンツを売ったと言われる伝説のセールスマンと懇意になって、彼をして、サラリーマンの顧客にベンツを10台買ってもらったのは、私だけだと言いましたから、彼にとっても不思議なお客様だったのです。子供が大きくなってからは、車が必需品になりましたから、妻に免許を取らせました。今はベンツ1台だけなのですが、車を2台所有していた時には、私が軽自動車、彼女がベンツなんてこともあったように、考えてみると、私、妻には安い車を運転させたことがないのです。仕事に集中するためには、妻に良い車を乗せておけば、事故があっても、命の危険は少ないので安心なのです。私は、仕事に対しては、現代風と言うか、ワークライフバランスを最初から取っていました。つまり、ひどい言い方をすると、最初から出世なんかくそくらえだったのです。社長に、「出世したがらないのだから始末に悪い。」と言わせたほどでした。でも、それもサヴァン症候群の超越的分析能力と未来幻視能力が合わさったからこそできた芸当だったと思います。若い頃というか、30~40台の私は、むしろ仕事人間でした。仕事は喜んでやりましたが、幻視能力でこれは問題になりそうだと思って仕事はそれなりに拒絶したのです。そして、わざと出世しないように仕向けました。そして、44年の会社人生を、出世ではなく、仕事を楽しむことに費やしました。一番おもしろかったのは、海外折衝でしたが、よくぞ無事で済んだと思うような危機もありました。台湾の、チャイニーズマフィアに日本の競馬の馬券を売る権益を与えることで、闇競馬を止めさせようとする計画では、日本に居た私を除いて、全員消されてしまいました。マフィアの中でも、チャイニーズが一番冷酷です。それに比べれば、日本の暴力団は、元が任侠ですから、仁義がありますが、彼らは、対立する組織を、平気で皆殺しにします。それから、スポーツ心理学の講師も面白いものでした。家を建てたのも、ベンツに乗ることになったのも、スポーツ心理学の一環としての目標設定の賜物でしたから。また、全国に映像伝送ネットワークを築いた事業も、何故私が担当させられたのか不思議でしたが、5億の事業を1億6千万まで値切ったり、そのお陰で、北海道の苫小牧以東に光回線を設置してもらえたり、社会貢献にもなって面白いものでした。笑ったのは、ネットワーク構築で、20年間トラブルは1回も起きていませんと豪語していた本州四国間の光回線の接続が、設置1か月でトラブルを起こしたことでした。NTTコミュニケーションズが結構高額の賠償金を支払う羽目になりましたが、該当した競馬場は、当時廃止の危機にあり、もしその事故の賠償金が無かったら、廃止になっていたかもしれませんし、その後のV字回復には、この光回線ネットワークが必須で、非常に大きく貢献しましたから、偶然とはいえ、そのトラブルはむしろ幸運だったのです。そんなこんなで、私は、社外には結構評判が良かったらしいのですが、出世を望まず、飲みニケーションを取らなかったこともあって、社内の評判は余りよくなかったようです。興味深い事件としては、未来幻視によって、クライアントの担当者一人が首になりかねなかった危機を救ったことがありました。ただ、この案件、未来幻視ができる私にしかできないことで、本来出張で社内に居ないはずの時に、そのクライアントのトラブルが起きることを幻視できたので、その日の出張先の仕事をいい加減にさぼることで、「次回は君来なくていいよ。」と言わせたのです。ですから、めでたくその当日に私は会社に居ることができましたから、そのトラブルを未然に阻止することができたのです。社内的には、私が仕事をさぼったとしか思えない状況になりましたから、私の評判を落としただけで、損をしたはずですが、助けた担当者からは、当然大変感謝されましたし、私はくびにはなりませんでしたから、それだけで満足です。わざと出世はしなかったものの、我が家は、田舎ですが、300坪の敷地と40坪の広い家に住むことができていますし、唯一贅沢した車では、現在11台目のベンツに乗れていますし、毎日サイクリングもできる健康的な環境です。この現在が、私の未来幻視能力とサヴァン症候群の超越的分析能力を駆使して、一番幸福になるものを選んだ結果なのです。誰も、信じてはくれないでしょうが。前々前世の悲劇だけでなく、いくつもの前世で愛憎の相手となっていた腐れ縁とも言える妻ですが、彼女の現在の最大かつ唯一のお願いは、私が、自分よりも後に死ぬことなのです。なんのこっちゃない、そうすれば、相続や財産分割等の面倒なことに一切かかわることなく、この世におさらばできるからだと本人は言いますが、彼女、32歳の時に一度死にかけており、その時神様に、私の命を削って彼女を生かしてくださいと頼んで聞き入れてもらえたことがあったのです。ですから、私の方が後に死ぬことは、難しいかもしれませんが、できるものなら、受け入れましょう。確かに、財産管理や相続の問題は、弁護士でもないのに、中学生の頃からひどい家庭のお蔭?でかかわってきた得意分野ですから、私の最後のお仕事としては、うってつけでしょう。この先何時まで生きることができるかわかりませんが、現在の私は、13キロのサイクリングを毎日できるほど健康ですから、妻のお願いを実現させてもらえるように、神様に重々お願いしておきましょう。