続・残ってしまうもの
前回、残そうと思ったものよりも残ってしまったものの方に心を奪われるというような事を書きました。今回は似たような内容を違った角度で。僕は東京の下町で生まれて、その後横浜に越して来ました。今となっては横浜で生きた時間が圧倒的に長いので自らを横浜出身と言う事になんら違和感を感じません。その横浜には名所・旧蹟と言われるものがほとんど無いんです。歴史的なものを次々と壊してその上に新しい街を造り上げてきたので多くの名所・旧蹟はいまや説明板や石碑だけになっています。いや、石碑すらない場所もたくさんあります。昔はその事に問題意識や寂しさを感じていたんですけど皮肉なことに東海道の旅を続けていくうちにその気持ちが次第に薄れていきました。歴史的な町並みに触れて感動する半面で大都市の迫力を余計に感じるようになってしまったんです。古い木造住宅が日本に昔からあったからと言ってそれがすなわち日本にふさわしい姿なのかと思うようになったんです。・・・変ですよね(笑)日本の文化や日本らしさを語る時浮世絵に高い評価をしたのは海外の人間で、日本人はそれを聞いて評価を正したという逸話が使われる事があります。この話は、日本人は海外の人の意見に左右されやすい事の例えとしても使われますよね?でも、本当にそうなのかな~と思ったりします。僕らは意識しなくても日本人なんだからわざわざ日本らしさについて追求なんてしなくていいんじゃないのかなと思うんです。僕らの大多数が良いと思うことがきっと日本らしいんだと思うんです。相当いい加減な考え方ですけど(笑)浮世絵を描いた人々だって特に日本らしさを強調したわけじゃないですよね?作者はただ生活の為に仕事として製作してたのかも知れないんです。少なくとも「芸術」なんて大義名分を掲げては居なかったと思うんです(笑)たまたま、海外の人々が見た時に独特だったんです。それ以上でもそれ以下でもなかったんだと僕は思っています。話が大きくそれてしまいましたけど結局、京都などの歴史ある町並みを歩いて建築物ばかりに目を奪われるべきではないと思ったんです。そこにある、現在の人々の生活を感じるべきではないかと。歴史の主役は建物ではなく人だということに改めて気付いたんです。寺が出来て仏教が生まれたんじゃなく、人が必要としたから、仏教が生まれたんです。当たり前ですけど(爆)神社仏閣があるから京都がすばらしいんじゃないんですよね。たとえ明日それらが急に消えうせても京都の人がそこにいる限り京都は決して消えうせることは無いんです。いずれ新しい形の京都が出来て相変わらず人が集まると思うんです。それが本当の伝統だと思うし、文化なんだと思うんです。・・・と、まだまだ書きたいことは山ほどあるんですけど・・・。今回はここ数ヶ月思ってた事を一気に書き上げているので複数の話が入り乱れてしまって本当に分かりにくくなってしまいました(爆)でも、文化、伝統、自然、歴史を重んじるあまりに「人」がぬけ落ちているここ最近の風潮や論争にどうしても違和感を感じずにはいられない今日この頃なので・・・(笑)